シーパワー500年史 47(最終回)
今回は冷戦後のロシア海軍の歩みとロシアの独特な戦略を見てゆきます。そこには黒海を巡るウクライナとの確執や、中国のA2/AD戦略とも比較できる大陸国家ならではの戦略の特徴がみられます。
▼ロシア海軍の復活
ロシアはソ連解体後の混乱期を経て、プーチン政権下で政治的、経済的な安定を回復し、その海軍は様々な問題を抱えつつも装備の近代化や組織改編を進めて復活してきた。
海軍の任務は、ロシアに対する軍事力行使の抑止と撃破をはじめとして、排他的経済水域(EEZ)などでの権益の保護、世界の海洋における漁業支援と海軍力プレゼンスの顕示とされており、「2020年までの海洋ドクトリン」(2000年)では、海洋にはロシアの死活的な利益があるとして、その保護にあたる海軍の重要性が強調されている。このような考え方は、プーチン政権で新たに決定されたというよりは、1960年代以降、ゴルシコフのもと外洋海軍を目指したソ連時代の海洋戦略と基本的には同じもので、それが復活したとみることができる。
2000年代後半あたりから国防予算の増額により艦隊の活動が世界的に活発になり、日本との合同演習や艦艇訪問、リムパック演習、ソマリア沖の海賊対処などに参加するようになった。2010年代に入ると、長く中断していた戦略原潜による核パトロールも再開している。
また、ロシアは伝統的に重視してきた地中海のプレゼンスも復活させている。近年は緊迫するシリア情勢に対応し、アサド政権を支援するために地中海作戦コマンドを設置し、艦艇部隊を常駐させて米欧の軍事介入をけん制している。
ロシアが「戦略的資源基盤」と考えている北極海については、大陸棚の画定がなされていないため資源を巡る軍事紛争が起きることや欧州とアジアの最短航路である北極海航路に外国艦艇が進入してくることを警戒している。このため、北極圏において閉鎖されていた軍用飛行場の再開、レーダー監視網の整備、救難センターの設置、海軍による北極海運航訓練などが行われるようになった。
海軍の近代化は2010年代から国家装備計画としてスタートし、様々な問題はあるものの艦艇の更新が進められている。
▼黒海を巡る地政学
ソ連崩壊後、黒海艦隊基地のセヴァストポリとソ連の艦艇建造を一手に引き受けていた大造船所のあるニコライエフがウクライナ領となり、さらに同国がNATO加盟を表明したためロシアは黒海に面した海軍拠点をすべて失う可能性に直面した。ちなみに中国海軍の空母「遼寧」は、ニコライエフの造船所で建造中だった空母「ワリヤーグ」が未完成のまま売却されたものだ。
ロシアとウクライナはセヴァストポリ基地を共同運用することに合意し(92年)、ロシアは基地の使用料として年間9,800万ドルを支払うことになったが、使用期間の延長や条件をめぐり両国間でトラブルが多かった。また、グルジア戦争(08年)では米艦艇が黒海に展開したことから、モスクワが巡航ミサイルの射程に入ることにロシア側は強い警戒感を感じたとされる。
このようなことからロシアは領内のノヴォロシースクの海軍基地を拡張(2005年頃~)する一方で次々と新型艦を配備して黒海艦隊の増強に着手した。ロシアはクリミア併合(14年)によりセヴァストポリを自国領とすると、ウクライナに対して基地租借協定が無効になった旨を一方的に通告した。ソ連時代には黒海沿岸国はトルコを除いてすべて勢力下にあったが、いまやルーマニアとトルコはNATO加盟国であり、グルジアは準敵国、ウクライナとは戦火を交えている。
ロシアはウクライナ侵攻(22年)で黒海沿岸の自国領を拡げようとしていることは明らかだ。黒海を巡る戦略環境はすっかり変わってしまったが、ロシアの地中海への出口としての黒海の地政学的重要性は全く変化していないのだ。
▼ロシアのA2/AD
ロシア海軍の中心的な任務は前述のとおり敵艦隊の撃破と抑止とされているが、小泉悠はこれについて次のように分析している。
まず、敵艦隊の撃破については、洋上で全面戦争を戦う可能性は極めて低いが、小規模紛争に対処する可能性はあると考えられている。ゴルシコフは『海軍戦略』において、近代海軍が内陸部への戦力投射能力を著しく高めていることに着目しているが、これは当時出現しつつあったトマホーク巡航ミサイルを強く意識していたためだ。
ロシアは湾岸戦争(91年)、ユーゴスラビア空爆(99年)、イラク戦争(03年)を通じて米軍の圧倒的な長距離精密攻撃能力と戦略機動能力に危機感を抱いた。また、第二次チェチェン戦争(99年)、グルジア戦争(08年)、ウクライナ危機(14年~)では、黒海やバルト海に米海軍が展開し、ロシアの内陸部が巡航ミサイルの射程内に入る可能性が強く懸念された。
これらのことから、ロシア海軍の第一の役割は、ロシア沿海から西側の海軍力をなるべく遠ざけることであり、このためにロシアは沿海部において海軍を中心とする統合部隊を編成している。これは中国が西太平洋において展開している接近阻止・領域拒否(A2/AD)戦略のロシア版といえる。
▼ロシアの「エスカレーション抑止」
紛争の抑止についても、ロシアの考え方は独特だ。冷戦後のロシアは、チェチェンや旧ソ連圏への介入を行なってきたが、これらが西側の介入を招き、軍事紛争にまでエスカレートしないことが自らの勢力圏を守るために必要となる。
ロシアの「エスカレーション抑止」とは、戦争が切迫した段階または初期段階において、核使用またはその脅しをかけ、西側の軍事介入を思いとどまらせたり、相手国の戦意をくじくことである。これは必然的に小規模紛争での核使用や戦争が始まる前の段階における予防的な核使用を含むとされる。
また、核兵器による抑止のほかに長距離精密誘導兵器による「非核抑止」もある。プーチン首相(当時)は2012年に公表した論文で、精密誘導兵器の大量使用が戦争の帰趨を決する傾向が今後強まるとともに、非核兵器の威力増大によって核兵器の相対的な重要性は低下するとの見通しを述べている。まさに冷戦後のロシアが抱いてきた長距離精密攻撃力への懸念を裏返して、自らこのような兵器を保有しているのが現在のロシア軍であり、このことはウクライナ侵攻(2022年)における初期の作戦をみても明らかだ。
▼プーチンロシアのゆくえ
2013年、シリア内戦での化学兵器使用を受けた米英仏の軍事介入の動きがあったが、結局は不介入に終わった。当時のアメリカはイラクとアフガニスタンという二重の泥沼から抜けつつあり、シリアへの本格的関与は回避したいのが本音だった。このような状況を見透かしたロシアは、シリアに化学兵器全面廃棄を認めさせ、軍事介入そのものを覆した。これは、紛争が起これば米欧が軍事介入してくるという冷戦後のパターンの転換点だった。
同じようにクリミア併合(2014年)でも欧米の足並みが揃わなかったことから、プーチン大統領は北大西洋条約機構(NATO)の東方不拡大の要請が聞き入れられなかったことを口実として、ウクライナに侵攻した。しかし、電撃的にウクライナを侵攻する作戦は失敗し、作戦が長期化する中、伝統的に中立や非同盟政策を取ってきたスウェーデンとフィンランドもNATO加盟に動くなど、プーチンの狙いは完全に裏目に出た。また、西側諸国は厳しい経済制裁やウクライナへの軍事支援などこれまでにない強い対応を示しており、長期化すればロシアの国力の停滞は避けられないだろう。
【主要参考資料】 小泉悠著『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版、2019年)、小泉悠「何を目指すプーチンのロシア海軍」(『世界の艦船』、2015年6月号)、川村庸也「ウクライナ情勢とロシア黒海艦隊」(『世界の艦船』、2015年6月号)
※本稿は拙著『海軍戦略500年史』の一部をメルマガ「軍事情報」(2021年5月~2022年11月)に「海軍戦略500年史」として連載したものを加筆修正したものです。