シーパワー500年史 44

 今回は冷戦後の中国の海軍戦略をみてゆきます。中国は長期的な近代化計画を持っていましたが、第三次台湾海峡危機で米海軍の前に屈した屈辱の経験をもとに近代化のスピードを加速します。

 同時に海軍大拡張に対する国民の支持を得るために「海軍ナショナリズム」を煽り、大国中国にふさわしい大海軍を建設するというキャンペーンを張ります。大陸国家ならではのA2/AD戦略という防勢的な戦略も完成に近づいてゆくのですが、中国が建造に邁進している大型空母は果たしてこの戦略に必要なのでしょうか。「海軍ナショナリズム」が大国としての「威信戦略」に化けて、大陸国家にふさわしい海軍戦略をゆがめていることはないのでしょうか。

▼第三次台湾海峡危機

 米中国交正常化にともない、中国には米国の非殺傷兵器の輸出や中ソ国境の把握に役立つ地球観測衛星からの画像データ受信局の設置などの軍事・情報面の協力が許可された。米国には、中国に技術支援を与えても近い将来に自国に追いつくことはなく、むしろ中ソの軍事格差を縮小させアジアの軍事バランスを有利にするという楽観主義が多かった。

 1989年には天安門事件が起こり、中国の民主化への期待は裏切られるのだが、それでも米国は対ソけん制やアジアの安定のためとして対中関係の維持を図った。その後、米ソ冷戦が終結するが、米国は貿易、投資先としての期待や潜在的ライバルの中国に米国の力を見せつけるとともに北朝鮮問題でも協力を得たいとの考えから「関与政策」を継続する。

 1995年から96年にかけて第三次台湾海峡危機が起こる。これは李登輝総統の訪米時(95年)に、約束に反して米国がビザを発給したことに中国が強く反発し、台湾沖に2度の弾道ミサイル発射と軍事演習を行い、さらに翌年、中国が初の台湾総統直接選挙の直前に、台湾独立派への警告として3回目の弾道ミサイル発射と軍事演習を行ったことで起きた危機である。これらのミサイル発射と演習により台湾海峡の緊張は高まり、台湾の海上交通路や航空路、主要な港湾は実質的に封鎖状態となった。これに対して米国は2コ空母機動部隊という圧倒的な海軍力を派遣して中国にミサイル発射と軍事演習の中止を求めた。

 様々な外交的駆け引きも行われたが、ものをいったのは紛れもなく世界最強の米海軍の力だった。中国は引き下がるしかなく、ミサイル発射は中止され台湾海峡の封鎖は解かれた。中国は公式には認めなかったが、明らかに屈辱的な敗北で、まるでアヘン戦争以来の「屈辱の100年間」が終わっていないかのようだった。この事件をきっかけに中国は海軍の近代化を急ピッチで進めることになる。

▼中国海軍の近代化加速と「海軍ナショナリズム」

 海軍の近代化については、この事件以前からも構想があり推進されていた。例えば、80年代初めに海軍司令官に就任した劉華清が示した海軍の3段階発展構想だ。2010年までに「第1列島線」(日本、台湾、フィリピンを結ぶ線)を突破し、その内側の黄海、東シナ海、南シナ海の制海能力を持ち、2020年までに「第2列島線」(グアムからニューギニアを結ぶ線)を突破し、その外側にまで戦力を投射できるようになること、そして中国建国100年の節目である2049年までに米空母をしのぐような空母を保有する世界規模の海軍となるというものだ。

 実際に劉の指示を受けた中国海軍は空母研究に着手し、96年には国家レベルで空母の研究開発が承認された。それまで主として海軍部内で主張されていた空母の保有が、中国国民の各層で広く支持されるようになり、マハン著『海上権力史論』の中国語版の帯には「中国には空母が必要か?」と記されるようになった。アヘン戦争以来の「屈辱の歴史」や日清戦争に敗北し日本の進出を許したのも中国の海軍力が劣っていたからだとして、中国はマハンのいう制海能力を必要としていると主張する「海軍ナショナリズム」が高まった。さらに、インドネシア大津波に対する国際救援活動(2004年)での米空母の活躍ぶりを見て、大国中国が大災害や自国民救出などの緊急事態対処のための海軍能力に欠けていることも空母を含む大規模海軍建設の追い風となった。

 中国の軍事費は2001年の500億ドルから2022年予算案では2,294億ドルに増大している。もちろん米国の8,130億ドル(2023年度予算教書)に比べると小さいが、米国が全世界的にコミットしていることを考えると、中国の軍事費はかなりなものだ。さらに、劉は鄧小平とのパイプを活かして軍事費に占める海軍予算の割合を大きくしたとされているので、今日のような海軍の近代化が実現したわけである。彼は「中国海軍の父」と呼ばれている。

▼接近阻止・領域拒否(A2/AD)戦略

 中国海軍は順調な経済に支えられて発展しており、「接近阻止・領域拒否(A2/AD)」と称される対米戦略構想にもとづき、第一列島線の内外に二段構えの防衛態勢を構成し、台湾周辺海域や西太平洋における対米阻止戦略の確立を目指して、軍事拠点や軍備を増強中である。

 「接近阻止(A2:Anti-Access)」構想とは、第一列島線から第二列島線の間の西太平洋海域で米海空軍力の接近を阻止するというものである。このために空母、原潜、ステルス戦闘機、長距離爆撃機などの海空軍力をはじめ、長射程の対地・対艦用の弾道・巡航ミサイルや、宇宙兵器、サイバー戦能力を大幅に強化している。

 一方、「領域拒否(AD:Area Denial)」構想とは、第一列島線の内側の海域を自らが管制し他国の利用を拒否するというもので、南シナ海や東シナ海での中国の強圧的な活動の原理となっている。80年代の「近海防御戦略」を発展させ、南西諸島、台湾、フィリピン、ボルネオ島を結ぶ第一列島線を絶対防衛線とみなすものだ。その内側にある南シナ海や東シナ海の島嶼部に軍事拠点を構築する一方、ゲリラ・コマンドウや機雷敷設など従来型の非正規戦能力に加えて強襲揚陸能力などの多種多様な軍事力(海上民兵を含む)を増強している。

 近年の中国のA2/AD能力の向上は、日米など西太平洋諸国の大きな懸念となっている。現在の中国海軍は全体として米海軍の優勢を覆すには至っていないものの、一部の作戦領域においては肉薄しており、米軍全体を撃破できなくとも、一定の海域での行動を妨害したり、局地戦で一時的な優勢を獲得し限定的な作戦目的を達成することは可能とする分析もある。特に中国の弾道ミサイル戦力は、米海軍の戦力投射能力の中核である空母打撃群などに対する大きな脅威になっており、劉の海軍発展構想は順調に推移していると考えられる。

 

【主要参考資料】 平松茂雄著『台湾問題-中国と米国の軍事的確執』(勁草書房、2005年)、マイケル・ファベイ著『米中海戦はもう始まっている』赤根洋子訳(文藝春秋、2018年)

※本稿は拙著『海軍戦略500年史』の一部をメルマガ「軍事情報」(2021年5月~2022年11月)に「海軍戦略500年史」として連載したものを加筆修正したものです。