シーパワー500年史 43
今回は、日本が経験した北朝鮮の核危機、冷戦後の日米同盟の「再構築」を経て、安倍政権のもとで初めての国家安全保障戦略が策定されて今日の体制ができあがるまでを辿ります。このような安倍内閣で成し遂げられた成果を引き継ぎ、今後の政権も弛まず進化させていってもらいたいものです。
▼政治空白の中の北朝鮮核危機
93年から94年にかけては北朝鮮核危機が起こる。日本では閣僚経験者がほとんどいない素人政権や頻繁な政権交代により政治の空白が生じたため、官僚主導の危機管理となった。政府内で朝鮮半島有事が現実的な問題として浮上し、米軍からの1,900項目に及ぶ支援要請リストが真剣に検討されたが、憲法と集団的自衛権の制限的解釈が日本のとりうる選択肢を厳しく制限した。
これをきっかけとして「保持しているが行使できない」集団的自衛権の問題が本格的に議論されるようになり、同時に危機管理に対応できない国内諸法制も明らかになった。幸い危機は回避されたが、戦争にエスカレートしていた場合、効果的な対米支援はできず日米同盟は機能しなかった可能性が高く、日米同盟の脆弱性が露呈した。また、国民は身近な戦争の可能性を認識し、いわゆる「観念的平和論」は影を潜める傾向が強まってきた。
▼日米同盟「再構築」
経済重視のクリントン政権下、日米間で貿易摩擦が続き、冷戦終結に伴う「日米同盟不要論」が広まるなか、北朝鮮危機での教訓などから日米間で安保再生のための政策協議が進んだ。
また、95年に入って、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件と立て続けに前例のない事件が起こり、自衛隊の出動、危機管理体制強化に国民的コンセンサスが形成された。同年、発表された新防衛大綱では日米同盟の積極的価値を強調し、信頼性及び機能向上のためにはガイドライン見直しが必要とされた。96年、台湾総統選挙を前にした第三次台湾海峡危機の発生で、日米同盟強化及び周辺事態対処への国民の支持が高まるなか、「日米安保共同宣言」を発表し、日米同盟の「再構築」が始まった。
▼「周辺事態」への備え
98年、インドネシアの暴動激化に備え、政府は在外邦人輸送のため海上保安庁巡視船を派遣し、自衛隊輸送機をシンガポールで待機させたが、この際、在外邦人救出のために海上自衛隊艦船の派遣を許さない現行法体制の制限に国民の不満が高まり、「自衛隊は一体何の役に立つのか」との声が上がった。これをきっかけに自衛隊法が改正され、在外邦人保護・救出のための艦船派遣が可能になった。
同年、北朝鮮から発射された弾道ミサイルが日本上空を飛び越えた。世論は一夜で熱し、多くの国民がそれまで聞いたこともなかった「戦域ミサイル防衛」が必要と世論調査に答え、情報収集衛星の導入も決定する。
99年、北朝鮮の不審船に対して初の海上警備行動が発動され、弾道ミサイル発射以来の「周辺事態」に対する関心・理解が拡大・深化した。この時期は橋本首相をはじめとする政治的リーダーシップの下、危機管理政策が進展し、極めて複雑かつ精緻化した憲法解釈に基づく立法作業が精力的に行われた。
▼戦後初の国家安全保障戦略
米国で同時多発テロが発生すると(01年)、日本政府は「テロ対策特措法」を約3週間という短時間で成立させ、「後方地域」とはいえ初の戦時の任務に海自艦艇が出動することになった。自衛隊創設以来の課題だった有事法制が、国民の理解が広がりを見せるなか成立し(03年)、内閣府の外局の位置づけだった防衛庁が念願の防衛省への昇格を果たした(06年)。
2009年には、ソマリア沖の海賊から日本関係船舶を防護するための海上警備行動にもとづく護衛作戦を開始、同年、「海賊対処法」が施行されてからは、すべての国の船舶を守ることができるようになった。戦後、途絶えていた商船界と海上自衛隊の関係が回復したのもこの頃からである。
2010年には「22大綱」において「基盤的防衛力」の考え方が撤廃され、防衛力の規模や存在によって抑止力を構成するいわゆる「静的抑止」から、即応性や後方支援能力を高めて平素から警戒監視などを通じて高い作戦能力を示すことによる「動的抑止」の考え方に転換した。
もともと「限定的小規模侵略」という考え方は、高い機動性を持つ海上兵力を地理的に限定することは難しく、「独力対処」についても当初から米海軍との連携を前提とする海上自衛隊の考えとはなじまないものだった。防衛力整備の概念としてはともかく、事態の蓋然性とか運用概念としては考えにくいものだったので、ようやく妥当な防衛構想を検討する前提が整ってきたといえる。
2013年から15年にかけて、第二次安倍内閣のもと安全保障に関する国内体制が強化された。国家安全保障会議と国家安全保障局が設置され、外交と防衛を統合した安全保障政策の推進が可能となり、戦後の日本として初めて国家安全保障戦略が策定された。これでようやく1957年の「国防の基本方針」が上書きされることになった。
特定秘密保護法により国家としてのインテリジェンス機能の向上が図られ、60年代からの武器輸出三原則も抜本的に変更された。さらに限定的ながら集団的自衛権の行使が可能となったのは画期的なことであり、日米防衛協力ガイドラインの改定とともに関連する法制(平和安全法制)が整備され、日本が置かれた厳しい安全保障環境に適切に対応するための基盤がようやく整った。
【主要参考資料】 堂下哲郎「海上自衛隊の位置づけの変化」『新防衛論集』(1998年9月)、平松茂雄著『台湾問題-中国と米国の軍事的確執』(勁草書房、2005年)、マイケル・ファベイ著『米中海戦はもう始まっている』赤根洋子訳(文藝春秋、2018年)、信田智人「序論 安倍政権は何を変えたのか」(『国際安全保障』、2022年3月)
※本稿は拙著『海軍戦略500年史』の一部をメルマガ「軍事情報」(2021年5月~2022年11月)に「海軍戦略500年史」として連載したものを加筆修正したものです。