シーパワー500年史 1 

 500年史の書き起こしにあたって、大航海時代から現代までの海上覇権の移り変わりを簡単に辿ってみる。

▼スペイン・ポルトガル、そしてオランダ

 15世紀に大航海時代が始まると、世界の海は新大陸やアジアに広大な植民地を拓いた旧教国スペインとポルトガルに支配された。この海洋支配に挑戦したのが新教国オランダとイギリスである。オランダは、イギリスがスペインとの海上覇権争いに明け暮れている間に漁夫の利を占めて世界的規模で経済を躍進させて海上帝国として繁栄する。17世紀は「オランダの世紀」といわれた。

 これより前、16世紀に全盛を誇ったオスマン・トルコは地中海に進出するが、レパントの海戦(1571年)で旧教国の神聖同盟艦隊に敗れた。以後、オスマン帝国の艦隊は地中海の東にとどまり海上覇権を争うことはなかった。欧州諸国の目は地中海から大西洋へ移る。

 レパントの海戦の少し後、日本では秀吉が文禄・慶長の役(1592、1597年)で朝鮮半島に出兵したが、ヨーロッパではスペインがイギリスを侵攻しようとしてアルマダの海戦(1588年)で無敵艦隊が撃退されている。また、ポルトガルは長崎に商館を設立(1571年)したものの、あとから来たオランダの妨害で閉め出され、「鎖国」体制のもとオランダに中国、朝鮮、琉球とともに日本との貿易を独占されてしまう。ちなみに倭寇が盛んだったのもこの頃だ。

▼パックス・ブリタニカ

 ヨーロッパに話をもどすと、30年にわたって荒れ狂った宗教戦争がウェストファリア条約(1648年)で終わり、イギリスに対するスペインの脅威が去ると、国家間の宗教的な対立が経済的な利害対立に置き換わる。イデオロギーで米ソが鋭く対立した冷戦が終わったようなものである。こうなるとオランダのまばゆいばかりの繁栄はイギリスから妬まれるようになり、三次の英蘭戦争を経てオランダは衰退してゆく。

 オランダに代わって海洋国家として発展を始めたイギリスは、産業革命による力強い経済成長をもとにして、遅れて植民地競争に参入したフランスとの間でナポレオン戦争(~1815年)までの150年にわたる一連の戦争を戦い抜いて世界の海上覇権を握る。第一次世界大戦(1914~18年)までの「パックス・ブリタニカ」の到来だ。

 18世紀後半からの産業革命により蒸気機関の導入や艦載兵器などの技術革新には目覚ましいものがあった。19世紀末からはアメリカ、ドイツ、日本といった新興のシー・パワーが登場し、イギリスの海上覇権は挑戦を受け始める。マハンやコルベットが、現代につながるグローバルな海軍戦略を論じたのもこの頃だ。

 日本は、初めての海外派兵である台湾出兵(1874年)を経て、日清戦争(1894~95年)と日露戦争(1904~05年)に勝利して、世界第5位の海軍国に成長する。この頃から日米は太平洋の覇権をめぐって対立の道を歩み出す。

 第一次世界大戦が終結したときには日本は世界第3位の海軍国、国際連盟常任理事国になり「5大国」の一角を占めるようになった。戦後、建艦競争を沈静化させるなどの目的で、ワシントン、ロンドン各海軍軍縮条約(1922,1930年)が締結されるが、日米の敵対意識はむしろ増幅され、その後の日本の南シナ海への進出、南部仏印への進駐により日米の衝突は避け難いものとなった。

▼パックス・アメリカーナ

 太平洋戦争の口火を切った日本海軍のパールハーバー奇襲は、大艦巨砲主義の終わりと空母機動部隊の時代の到来を告げるものであったが、実際に航空主兵の近代海軍に変革できたのはアメリカであり、自ら証明したはずの日本はなかなか変革できなかった。大西洋と太平洋の戦いを制したのはアメリカで、第二次大戦が終わった時にはイギリスに昔日の姿はなく、世界の海はアメリカのものになっていた。「パックス・アメリカーナ」である。

 戦後、冷戦が激化する中、キューバ危機(1962年)で躓いたソ連は海空軍力の大幅な増強をはじめ、アメリカがベトナム戦争に莫大な資源を投じている間に西側に対して重大な脅威を及ぼすようになった。アメリカは、1980年代になると自らの海上覇権に挑戦する存在となったソ連に対抗するために「600隻艦隊」構想などの大規模な軍拡を進めた。日本の戦後の「再軍備」は、憲法上の問題を抱えたまま経済優先、軽武装路線で行われてきたが、海空の自衛隊の兵力がようやく増強され始めたのもこの頃である。

 やがて1990年にはソ連が崩壊し、経済力の急速な低下にあわせてソ連海軍も崩壊した。冷戦に勝利したアメリカやNATO諸国は、「平和の配当」とばかり急ピッチで艦艇を退役させるなど軍備を縮小した。世界の海上貿易は拡大し続けたが、海軍が主役となるような大きな国際紛争もなかったため、シー・パワーへの関心も低下してしまった。

▼再来したシー・パワーの時代

 その後、アメリカは湾岸戦争(1990~91年)や9.11同時多発テロ(2001年)に続くテロとの戦いに空母機動部隊や両用戦部隊などを展開し、比類ないグローバルな海上作戦能力を発揮する。しかし、長期化するテロとの戦いに投じた国力はあまりにも大きく、2013年、オバマ大統領は「世界の警察官」をやめると宣言するに至る。

 西太平洋やインド洋に目を転ずると、世界の目がテロとの戦いに注がれている間に、中国はめざましい軍備増強を成し遂げ、地域のパワーバランスを大きく変化させた。中国は、台湾近海へミサイルを発射した第三次台湾海峡危機(1996年)で、急派された米空母機動部隊に動きを封じられた屈辱の経験から、米軍に対抗すべく軍備増強を加速させていたのだ。その結果、中国は有事において米軍の動きを抑える「接近阻止/領域拒否(A2/AD:Anti Access/Area Denial)」戦略を完成させつつある。

 中国はまた、南シナ海の大部分の「歴史的」領有権を主張するとともに、わが国の尖閣諸島に対しても領有を主張するなど周辺諸国との摩擦を激化させている。また「一帯一路」と呼ばれる巨大経済圏構想や、南シナ海からペルシャ湾に及ぶ「真珠の首飾り」戦略で沿岸各地の港湾へのアクセス確保を強引に進めており、インドなどの警戒感を高めている。さらに香港や台湾への圧力を強め、香港の一国二制度を形骸化させ、台湾海峡をめぐっては軍事的な緊張を高めている。

 このように地域情勢の現状変更を目指す中国の軍事力は、分野によっては米軍を上回りつつある可能性もあるとみられている。このため米国は、それまでの「太平洋軍」を「インド太平洋軍」に変えて、各軍の態勢の見直しに着手するとともに、日本、オーストラリア、インドとの海洋勢力四カ国(クアッド)による連携を強めて「自由で開かれたインド太平洋」の安定を図ろうとしている。

 シー・パワーの重要性は、米ソ冷戦の終結で低下したと見られていたが、米中「新冷戦」の激化で再び大国の覇権争いの主役となり、「シー・パワーの時代」が再来したのだ。米中「新冷戦」では、日米同盟が正面となって中国と対峙することになる。日本の戦略が問われている。

※本稿は拙著『海軍戦略500年史』の一部をメルマガ「軍事情報」(2021年5月~2022年11月)に「海軍戦略500年史」として連載したものを加筆修正したものです。