シーパワー500年史 45
今回は9.11同時多発テロから今日に至るアメリカの戦略の変遷です。私は米中央軍司令部への統合幕僚監部からの連絡官として勤務したことがあります。当時も短期では終わらないとみられていた対テロ戦争でしたが、結局10年もかかってしまいました。司令部にいると日々膨大な戦費を使っているのを実感しましたが、この負担にさすがのアメリカも疲弊して「世界の警察官」をやめてしまいます。
軍予算もカットされ、様々な悪影響が出てきましたが、米第七艦隊で頻発した事故などはその象徴的なものでした。この間に中国は軍の拡大、近代化を果たし、ついにはアメリカの前に堂々たる戦略的競争者として立ちはだかることになります。
▼長かった対テロ戦争
9.11同時多発テロ(01年)は、米英戦争以来200年ぶりの外部勢力の米本土への武力攻撃であり、米国はこれに対して英国とともにアフガニスタンでの「不朽の自由」作戦を開始した。2002年には、イラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しし、「イラクの自由」作戦(03年)に突入する。
米海軍は、空母を作戦地域の近くに航空基地がない場合の柔軟かつ有効なプラットフォームとして運用して、空母を時代遅れの装備の代表と見なしがちだった海軍改革派の人々を黙らせた。その他、艦艇からの巡航ミサイル攻撃を行ない、強襲揚陸艦から上陸した海兵隊は地上の進攻部隊の一翼を担った。最も重要なことは、米海軍が海を支配しているおかげで、長射程の戦力投射能力を任意の場所に長期間持続できるということこそ真の海軍力の活用法であることが改めて認識されたことだった。
これらの戦争は「米国一強」のもとで行われたが、アフガンもイラクも治安が悪化し、米軍は撤退の出口戦略をなかなか描き出せず、オバマ政権がイラク戦争の終結を宣言したのは11年末のことだった。米国が長い戦争に足をとられた「失われた10年」とでもいうべき期間のうちにロシアが復活し中国が台頭してくる。
このような中、国際的には大量破壊兵器の拡散問題、海賊対処、洋上での違法活動取締りなどの課題が山積し、米国一国では手が回らず各国海軍が連携しなければ解決しないとの考えから、米海軍は「1,000隻海軍」の構想を提唱する(05年)。
このような構想に基づき、米海軍は海兵隊、沿岸警備隊とともに「21世紀のシー・パワーのための協調戦略(A Cooperative Strategy for 21st Century Seapower)」(07年)を発表した。この「協調戦略」は15年に改訂されているが、海軍の任務を米本土防衛、紛争抑止、危機対応、武力侵略の撃破、海洋国際公共財の保護、共同関係の強化、人道支援・災害救援としている。また、これら任務達成に必要な能力として、①前方プレゼンス、②抑止、③制海、④戦力投射、⑤海洋安全保障、⑥人道支援・災害救援をあげて戦略の具体化に取り組んでいる。
▼「世界の警察官」を降りた米国
オバマ政権下で出された「4年ごとの国防見直し(QDR2010)」では、アフガニスタンやイラク紛争への対応を重視するとともに、新たな脅威として中国に対する懸念を表明し、同国の接近阻止・領域拒否(A2/AD)構想に対する米軍の作戦として「統合エア・シー・バトル」構想を開発するとした。一方で、06年のQDRにあった中国を「最大の軍事的な潜在的競争国」という表現は消え、中国との関係を重視する民主党政権の立場を反映したものとなった。
2011年には、米国の戦略的重点地域をアジア太平洋地域に転換することを明らかにし(ピボット、リバランス政策)、米海兵隊のオーストラリアへのローテーション配備などを発表した。2012年に公表された「国防戦略指針」では、米国の国益がかかった地域をアジアと中東と明記し、東アジアの平和のために中国に対する関与政策で協力の重要性を認めつつ、その軍拡路線や海洋進出については意図を明確にすべきとした。
政権2期目になると、14年のQDR、15年の「国家安全保障戦略」と「国家軍事戦略」などにおいて、米国にとっての脅威となる国家としてロシア、イラン、北朝鮮、中国を名指しし、米国の軍事的優位がもはや絶対的ではないとの認識を示す。そして米国のリーダーシップは必要だが、緊縮予算のもとで資源と影響力は無限ではないことを踏まえて、「賢明な戦略」として軍事力だけに頼らず同盟国等との協調を重視する方針を打ち出した。「米国は世界の警察官ではいられない」と宣言したのもこの頃だ。
中国とロシアは、米国がイラクやアフガニスタンで莫大な戦費と貴重な時間を費やしている間に軍の近代化を進めて自らの国家戦略を着々と進めていた。核大国であるロシアは、14年のクリミア併合を巡る欧米との対立などからNATO諸国との対決姿勢を強めた。中国は一方的な海洋進出を進めて、A2/AD能力を急速に増強させたのだが、オバマ政権は国際規範の順守を求め軍備の近代化と活動の活発化を注視するという方針に終始し、南シナ海の岩礁埋め立てが地域の緊張を高めているといいつつも、中国の発展を支援し建設的な関係の発展を追求する姿勢を示したのだった。さらにロシアと中国は、ウクライナ問題を機に接近を強め、12年からは合同海上演習を実施するようになり、16年には南シナ海でも実施した。
▼米国防予算削減の影響
米国では財政悪化により、予算管理法にもとづく国防予算の強制削減が発動された(10年)。これにより将来の水上艦艇部隊の減勢が見込まれ、2030年代には300隻を下回ると見積もられるようになった。中国海軍の急速な拡大と近代化やロシア海軍の活動の活発化を受けて、前方展開部隊の負担は大きくなり、整備、訓練、休養に支障をきたし始め、特に第7艦隊では2017年に立て続けに艦艇の衝突事故などが起きた。16年に大統領選に勝利したトランプは「力による平和」のため「350隻海軍」建設を訴えたが、それより前に海軍は前年を47隻上回る355隻体制を求めていた。
予算削減の影響は戦術、作戦面にも及び、米海軍は冷戦後しばらく海上に挑戦者がいなかったこともあり、戦力投射に傾斜を強めたが、結果的に制海能力の基本である対潜、対水上戦能力が相対的に低下してしまった。中国海軍の拡大とA2/AD能力の向上を前に、米海軍は戦闘力を高めて本来の攻勢的な作戦能力を取り戻そうとしている。
▼大国間競争に舵を切った米国
トランプ政権は国家安全保障戦略(17年)や国防戦略(18年)において、台頭する中国への警戒感を鮮明にし、米国の安全保障の最優先事項は、テロではなく大国間競争であると明言した。そして、国防総省の最優先事項は、中国とロシアとの長期的な戦略的競争であるとした。
バイデン政権でも国家防衛戦略(22年)で、中国を「最重要の戦略的競争相手」と位置付け、ロシアも「深刻な脅威」とし、両国を抑止し紛争に勝利することを優先事項に挙げた。中国が中長期的に最も警戒すべき相手で、インド太平洋地域が最重点となることは間違いないが、ロシアのウクライナ侵攻(22年)により、欧州防衛の強化も喫緊の課題となった。今後は中露の「二正面」に対処せざるを得ないというのが現実だ。
バイデン大統領は、ロシアのウクライナ侵攻前には「第三次世界大戦」を回避する必要性を繰り返し、侵攻直後のウクライナへの軍事支援策では、「ジャベリン(対戦車ミサイル)を携え、静かに話す」と述べた。ウクライナが強く求めていた戦闘機などの「大きなこん棒」とは違ったが、NATOを中心とした武器、弾薬、情報等の提供は拡大を続け、戦況を左右する重要な要素になっている。また国際社会と連携した強力な経済制裁も、戦争の終結にどの程度結びつくかは今のところ不透明だが、前例のないものだ。
新しい国家防衛戦略では、同盟国や友好国の力を最大限活用し、サイバー、宇宙などすべての戦闘領域で優越する「統合的抑止」を目指すとしている。日本などの同盟国の積極的な役割を果たすことがこれまで以上に必要となっている。
※本稿は拙著『海軍戦略500年史』の一部をメルマガ「軍事情報」(2021年5月~2022年11月)に「海軍戦略500年史」として連載したものを加筆修正したものです。