沈勇の智者-加藤友三郎 大正10年の皇太子御訪欧(御召艦「香取」、供奉艦「鹿島」)の話。この欧州各国巡遊については、相当に激しい反対もあった中、実現したのは原総理と加藤友三郎海軍大臣(海兵7期)の力によるところが大きかった...
海陸軍が陸海軍になった日 慶応4年3月(9月に明治に改元)、新政府の初の軍事組織の統括者として軍務官が置かれた。当時の日本には、ロシアの北方からの圧力があり、また隣国清国への英仏等の侵略から次は日本への強圧を予想させるものが...
海上権 山本権兵衛は海軍建設の第一人者といわれるが、伊藤正徳は「日清戦争も日露戦争も五十パーセントまでは山本の力で勝ったといっても過言ではない」と言う。 山本は1898年(明治31年)46歳で第2次山縣内...
義和団事件-軍艦外務令 山本権兵衛海軍大臣は義和団事件に際し、南海における必要な地点に警備艇を巡航させていたが、たまたま廈門港の警備に当たる軍艦に対し、我が領事館及び在留邦人を保護する必要上廈門砲台を占領しようとする場合、...