イギリス海軍の弟子 「型破り指揮官」黛治夫が『海軍砲戦史談』で語る日本海軍の大欠点。 日本海軍は、1873年(明6)のダグラス少佐率いる教官団が来てから1923年の日英同盟解消まで、イギリス海軍を師範として発達し...
右側通行 中世ヨーロッパ大陸では、ローマ法王の布告によって、左側通行が強制された。利き手である右手を自由に使い、左胸にある心臓を守るための自衛手段としてだった。人類の9割以上が右利きで、剣を右手に持つのが普通...
水交社の歴史 明治新政府の発足とともに創設された帝国陸海軍は、明治3年に至り「陸軍はフランス(のちプロシヤ)、海軍はイギリスの制度に倣うこと」に定められ、6年にはダグラス少佐率いる英国海軍教官団が来日し、海軍兵学...
ネルソン-12 Leadership traits ネルソンの卓越した統率に見る12のLeadership traits(統率上の特質) 1 Humanity and a Sense of Identification: 部下の信頼と心服(Inspi...
積極論を慎重論で抑える「秘策」 高木惣吉少将(海兵43期)が「現代戦争論」(『高木惣吉少将講話集』(1979年))の中で語る会議の秘策。 戦時においては、特に景気のよい積極論が大勢を支配しがちであり、これを慎重論で抑えるのは公開...
ブリッジ なぜ艦橋のことを「ブリッジ」と呼ぶようになったのか? 蒸気機関が実用化され、帆船の時代から外車船の登場となった。外車船は、船体中央に巨大な機関室と外車が必要になり、船尾の舵輪の位置からは進行方向の...
YSグループ 昭和26年10月19日、サンフランシスコにおける講和条約と安全保障条約に調印して帰国した吉田首相は、連合軍最高指揮官リッジウェイ大将に呼び出され、PF(1,420トン級)18隻、上陸支援艇(250ト...
身の危険を顧みず 有事の統率ということを考えた場合、特攻の問題や、特攻に言及しないまでも死生の問題に触れざるを得ないであろう。そこで想起されるのは「事に臨んでは危険を顧みず」という服務の宣誓である。 昭和25年に創...
事実・虚構・真実 吉田満「戦艦大和ノ最期」の中に幾つか極めて印象的な場面が出てくるが、土橋久男氏(兵科4期予備学生)が「「松井中尉の場合」考」として「事実・虚構・真実」のあいだの微妙な相関関係を語っている。 ひとつ...