戦争指導と「作戦干渉」 昭和16年12月10日、マライ半島クワンタン沖で英艦隊のプリンス・オブ・ウェールズとレパルスの両戦艦が、わが22航空戦隊の攻撃によって撃沈されたが、この2戦艦派遣の英国の内情というのがよく現代戦の特...
戦争指導の一般通則 戦争指導には、機構の問題と、その機構を媒介とする運用の問題とがある。そして機構についてはアメリカ流儀のタテ式のものと、日本流儀のヨコ式とがある。また運用の問題では、いうまでもなく第一に人間の要素、第...
右舷優先 大航海時代、帆船において船尾は神聖な場所とされ、聖像が安置され朝夕の礼拝は船尾に向かって行われた。船尾楼甲板は、プープデッキ(Poop Deck/Quarter Deck)と呼ばれるが、これは、法王...
戦史の読み方 高木惣吉少将(海兵43期)が「向洋荘談話(49.10.23)」(『髙木惣吉少将講話集』(1979年、海自幹部学校))で語る正しい戦史研究のしかた。 戦争や戦闘は人間がやるものであって、兵器がひとり...
日本の戦争指導 支那事変の頃、陸軍から海軍に対して大本営令改正の商議があったのであるが、それは昭和13年頃と記憶している。当時は近衛首相、海軍は米内海相、軍務局長は井上(成美、後大将)、陸軍は杉山陸相、閑院宮が総長...
海軍グルメの変遷 「海軍グルメ」というが、はじめから美食を追及したのではなく、西洋先進国海軍に追いつこうとした努力は健康な兵食づくりにもあった。明治海軍は(陸軍もそうだったが)栄養障害のため人の力が発揮できなかった時...
イギリス海軍の弟子 「型破り指揮官」黛治夫が『海軍砲戦史談』で語る日本海軍の大欠点。 日本海軍は、1873年(明6)のダグラス少佐率いる教官団が来てから1923年の日英同盟解消まで、イギリス海軍を師範として発達し...
右側通行 中世ヨーロッパ大陸では、ローマ法王の布告によって、左側通行が強制された。利き手である右手を自由に使い、左胸にある心臓を守るための自衛手段としてだった。人類の9割以上が右利きで、剣を右手に持つのが普通...
水交社の歴史 明治新政府の発足とともに創設された帝国陸海軍は、明治3年に至り「陸軍はフランス(のちプロシヤ)、海軍はイギリスの制度に倣うこと」に定められ、6年にはダグラス少佐率いる英国海軍教官団が来日し、海軍兵学...