33 国家戦略の喪失とロンドン海軍軍縮条約 シーパワー500年史 33 ワシントン体制の成立を受けて、日本の戦略がどのように変化したかを「帝国国防方針」を中心に見てゆきます。国防方針の第二次改定は何が問題だったのでしょうか。日本の国家戦略が迷...
32 ワシントン海軍軍縮条約 シーパワー500年史 32 第一次世界大戦後、敗戦国ドイツには極めて懲罰的な講和条件が課せられます。その一方で、国際連盟が創設され、ワシントン海軍軍縮会議が開かれ、アジア・太平洋地域の枠組みであるワ...
31 パクス・ブリタニカの終焉 シーパワー500年史 31 第一次世界大戦において優勢なイギリス海軍に対するドイツ海軍の挑戦は敗北に終わりました。日本は、総力戦の態勢を整えようとしますが、それは英米との衝突に向かう道となってしまい...
30 第一次世界大戦 シーパワー500年史 30 前回まで日露戦争とその後の日米関係、そして日本が帝国国防方針を定めたものの南進と北進を併記せざるを得ず、国家戦略として根本的な問題を抱えてしまったことを述べました。 史...
29 南進か北進か シーパワー500年史 29 日露戦争で満州を獲得して欧米列強の仲間入りをした日本は、自国の権益を維持、拡大するための国家戦略作りに取り組みます。統一した国防方針と戦後における軍備拡張の根拠となる「帝...
28 新たな日米関係 シーパワー500年史 28 日露戦争に勝利し、ローズヴェルト大統領の仲介で講和条約が締結され、日本も列強の一角を占めることになりました。日米の友好関係と日英同盟が合わさって強固な日米英関係ができあが...
27 日露戦争 シーパワー500年史 27 日清戦争の背景には、不凍港を求めて南下するロシアの脅威がありました。産業革命のおかげでネイヴァル・ルネッサンスが起きたように陸軍でも技術革新が起き、鉄道を使った戦略的な展...
26 日清戦争 シーパワー500年史 26 明治海軍は、懸命の体制づくりに取り組んで日清戦争に臨みますが、それは軍創設後わずか20年あまりのことでした。日清戦争当時の日本周辺の列強の状況、戦争の展開、そして日露戦争...
25 海洋国家アメリカの建設 シーパワー500年史 25 若きアメリカで海軍が創設されたものの、南北戦争の後始末のおかげでネイヴァル・ルネッサンスの波に乗り損ねました。今回は、世界をリードする現代の米海軍からは想像できないような...