戦艦無用論 元海軍中将戸塚道太郎(海兵38期)の回想。 大佐になり軍令部第三課長を三年半やった。主務は軍備である。「大和」型戦艦建造の話が始まっていたが、昭和9年に軍令部として正式な要求が提示された。航空本部...
あきらめの数字 山本聯合艦隊長官ご存命中伺ってみるべきであったと思うことがあります。政治とは縁を切ったうちわの話として、当時軍令部はどうしてあの対米英比「10:10:6」という数字にあんなに拘泥したのでしょうかとい...
艦隊保全主義 艦隊保全主義(Fleet-in-Being Doctrine)、要塞艦隊主義(Fortress Fleet Doctrine)という言葉がある。 要塞艦隊主義は、艦隊が要塞に身を託し、要塞の守備に...
中国が学んだ太平洋戦争の教訓 米戦略予算評価センター(CSBA)報告書 トシ・ヨシハラ著「CHINESE LESSONS FROM THE PACIFIC WAR -IMPLICATIONS FOR PLA WARAFIGHTI...
五省について 「至誠に悖るなかりしか」ではじまる「五省」は海軍兵学校で行われたもので、海軍の伝統の代表格に思われているが、海軍77年のうち最後の13年間のみ行われたものである。 五省の目的について、生徒の右傾化...
義和団事件-軍艦外務令 山本権兵衛海軍大臣は義和団事件に際し、南海における必要な地点に警備艇を巡航させていたが、たまたま廈門港の警備に当たる軍艦に対し、我が領事館及び在留邦人を保護する必要上廈門砲台を占領しようとする場合、...
「同期の桜」 幹部候補生学校の赤レンガの中庭にある桜が、一時期「同期の桜」と呼ばれた(根元に看板があった)ことを知っている人がいるかもしれない。 我々(Tin Can)が候補生の頃は、そういう呼び方はしておらず...
江田島創設時の思い出 現在、江田島は見学に来た人に等しく立派な施設だと言ってもらえるようになっているが、創設時の様子はどうだったか。初代術科学校長の回想。 アメリカ駐留軍司令部から江田島の施設が返還になったことに伴い、...
レンガの話 イギリスから1個ずつ油紙に二重包装して軍艦で神戸へ運び、神戸から小船に積み替えて江田島へ持ち込まれたとの説がある。当時、レンガ1個の値段は約20銭(米3升分に相当、工事労働者の賃金6~13銭/日)と...