歴戦者は必ずしも勇者ではなかった 太平洋戦争を通じ海軍航空関係の幕僚だった奥宮正武元海軍中佐(海兵58期)が『日本海軍が敗れた日』の中で、歴戦者は必ずしも勇者ではなかったということを語っている。 わが陸海軍では、武功抜群の将兵には...
佐藤鉄太郎「帝國国防史論抄」 明治40年我が国が初めて「帝国国防方針」という国防の基本方針を策定した際に、当時の海軍としての思想的背景となったのは元海軍中将佐藤鉄太郎の『海防論』、『帝国国防史論』等であったといわれている。これら...
帝國海軍と海戦要務令 帝国海軍最高の戦術規範として天皇の允裁を仰いで公布され、海軍参謀の虎の巻であった海戦要務令も、戦後は時代遅れで艦隊戦術をミスリードしたとの批判を浴びた。また、大艦巨砲主義とともに、海戦要務令を諸悪の...
前動続行の風土 日本人には、その行動なり思考において前動続行的になり易い精神的風土と志向があるらしい。 遠くは長篠の役において、武田軍は騎兵集団を中核とする兵術思想を「祖法」とし、武田信玄以来の華々しい歴戦経験の...
戦艦無用論 元海軍中将戸塚道太郎(海兵38期)の回想。 大佐になり軍令部第三課長を三年半やった。主務は軍備である。「大和」型戦艦建造の話が始まっていたが、昭和9年に軍令部として正式な要求が提示された。航空本部...
あきらめの数字 山本聯合艦隊長官ご存命中伺ってみるべきであったと思うことがあります。政治とは縁を切ったうちわの話として、当時軍令部はどうしてあの対米英比「10:10:6」という数字にあんなに拘泥したのでしょうかとい...
義和団事件-軍艦外務令 山本権兵衛海軍大臣は義和団事件に際し、南海における必要な地点に警備艇を巡航させていたが、たまたま廈門港の警備に当たる軍艦に対し、我が領事館及び在留邦人を保護する必要上廈門砲台を占領しようとする場合、...