戦備・技術 呉工廠: 昭和16年11月、私(海軍中将澁谷隆太郎(海機18期))が呉工廠長に着任した時は戦艦「大和」は既に公試運転は済んでいたが、その他の公試のため徳山から再々出動していた。12月8日朝、徳山の旅...
大本営発表 元海軍中将戸塚道太郎(海兵38期)の回想。 塚原第11航空艦隊長官は、ミッドウェー作戦には大反対で、「あんな島を取って何になるか。絶対反対だ」と云う主張であった。そして、参謀長の酒巻少将を派遣して...
降伏調印式・回想 降伏調印式 私(富岡定俊(海兵45期))は、終戦時には軍令部第一部長(少将)であった。降伏調印式は、昭和20年9月2日0900から東京湾にある米戦艦「ミズーリ」艦上において行なわれた。私は海軍の先...
終戦処理-横須賀 私(元海軍中将戸塚道太郎(海兵38期))は、昭和20年5月横須賀鎮守府司令長官にかわった。8月13日呼ばれて上京すると、米内大臣から「連合軍は真っ先に横須賀に上がってくるかもしれない。お前の持前を発...
終戦処理-シンガポール 終戦時、私(元海軍中将福留繁(海兵40期))は第十方面艦隊長官その他を兼務しシンガポールのセレター軍港にあった。8月26日にマラッカ海峡の英艦艦上で予備交渉が行なわれ、9月2日にビッグス大佐率いるイ...
終戦処理-艦政本部 私(元海軍中将澁谷隆太郎(海機18期))は艦政本部長として終戦処理当面の仕事をやったが、アメリカの調査団があれこれとひっきりなしに技術資料を要求した。こんなことでは貴重な資料が悉くアメリカに持って行...
下僚の心遣い 私(元海軍大将吉田善吾(海兵32期))が第三艦隊参謀(少佐)にとられたとき、村上格一長官は小柄でチョコチョコして堂々たる将軍らしいところはないが、細心雄大で、すべてやることは計画的実質的で、私にとっ...
陸軍から見た「海軍の伝統」 伝統とは良いことをいい、悪いことは陋習というとの使い分けもされるが、いわゆる「海軍の伝統」にも両面があったのだろう。伝統であるからと言ってこれに安住せず、常に謙虚に反省し、より良いものにしていく努力...
軍艦の進歩と乗員の気質 海軍の進歩につれ将卒の気分気性も変化してきたと思うが、私(元海軍大将山梨勝之進(兵25))は軍艦の格好に大いに関係があると思う。ネルソン時代は全く帆前船であった。それが蒸気の発明により、帆と蒸気を併...