兵術研究のむずかしさ 北村謙一元海将(海兵64期)は、初・中級幹部を対象とした『波涛』誌上講義「海軍戦略漫談」の連載開始にあたり次のようなことを語っている。 私がマハンの『海軍戦略』を初めて読んだのは、兵学校第2学年の...
マハン-日本海軍の評価 マハンには多くの「称号」が与えられている。海軍戦史家、海軍戦略家、世界政治の評論家、哲学者、思想家、帝国主義者、海軍至上の海軍主義者、黄禍論を唱えた人種差別主義者、アメリカの歴史に最も影響を与えた扇...
佐藤鉄太郎「帝國国防史論抄」 明治40年我が国が初めて「帝国国防方針」という国防の基本方針を策定した際に、当時の海軍としての思想的背景となったのは元海軍中将佐藤鉄太郎の『海防論』、『帝国国防史論』等であったといわれている。これら...
帝國海軍と海戦要務令 帝国海軍最高の戦術規範として天皇の允裁を仰いで公布され、海軍参謀の虎の巻であった海戦要務令も、戦後は時代遅れで艦隊戦術をミスリードしたとの批判を浴びた。また、大艦巨砲主義とともに、海戦要務令を諸悪の...
前動続行の風土 日本人には、その行動なり思考において前動続行的になり易い精神的風土と志向があるらしい。 遠くは長篠の役において、武田軍は騎兵集団を中核とする兵術思想を「祖法」とし、武田信玄以来の華々しい歴戦経験の...
戦艦無用論 元海軍中将戸塚道太郎(海兵38期)の回想。 大佐になり軍令部第三課長を三年半やった。主務は軍備である。「大和」型戦艦建造の話が始まっていたが、昭和9年に軍令部として正式な要求が提示された。航空本部...
あきらめの数字 山本聯合艦隊長官ご存命中伺ってみるべきであったと思うことがあります。政治とは縁を切ったうちわの話として、当時軍令部はどうしてあの対米英比「10:10:6」という数字にあんなに拘泥したのでしょうかとい...
艦隊保全主義 艦隊保全主義(Fleet-in-Being Doctrine)、要塞艦隊主義(Fortress Fleet Doctrine)という言葉がある。 要塞艦隊主義は、艦隊が要塞に身を託し、要塞の守備に...
①海軍意思決定の失敗 ▼海軍はなぜ太平洋戦争で負けたか?「社風」の問題 日本海軍は、最優秀の人材を集め、進歩的な組織運営を行った組織で、合理性や柔軟性を重んじ、「指揮官先頭」のリーダーシップはまさに「戦う組織」そのもので...