シーパワーの時代
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Tin Can

フォークランド紛争の教訓と尖閣

 パワーバランスの変化と相互誤認: 中国の国防費の急激な伸びにもかかわらず、日本の防衛予算はほぼ横ばいである。また、米国においても国防費削減圧力が根強い。このような状況は、挑戦国に自信の高まりと現状維...
2016-12-22(木)Tin Can

義和団事件-軍艦外務令

 山本権兵衛海軍大臣は義和団事件に際し、南海における必要な地点に警備艇を巡航させていたが、たまたま廈門港の警備に当たる軍艦に対し、我が領事館及び在留邦人を保護する必要上廈門砲台を占領しようとする場合、...
2016-12-22(木)Tin Can

「同期の桜」

 幹部候補生学校の赤レンガの中庭にある桜が、一時期「同期の桜」と呼ばれた(根元に看板があった)ことを知っている人がいるかもしれない。  我々(Tin Can)が候補生の頃は、そういう呼び方はしておらず...
2016-12-22(木)Tin Can

江田島創設時の思い出

 現在、江田島は見学に来た人に等しく立派な施設だと言ってもらえるようになっているが、創設時の様子はどうだったか。初代術科学校長の回想。  アメリカ駐留軍司令部から江田島の施設が返還になったことに伴い、...
2016-12-22(木)Tin Can

レンガの話

 イギリスから1個ずつ油紙に二重包装して軍艦で神戸へ運び、神戸から小船に積み替えて江田島へ持ち込まれたとの説がある。当時、レンガ1個の値段は約20銭(米3升分に相当、工事労働者の賃金6~13銭/日)と...
2016-12-22(木)Tin Can

お水鉢の話

 江田島教育参考館の戦死者銘碑の前にお供えしてあるお水鉢の話。  昭和44年に、海上自衛隊の医官を退職された勝田二佐のお母さんが一術校を訪問して水鉢の寄贈を申し出られた。当時の石塚校長が同じ大理石の鉢...
2016-12-22(木)Tin Can

日進・春日・ベスプッチィ

 伊藤正徳は『大海軍を想う』で、日露戦争は二隻の外国軍艦の買収競争からはじまったといっても差し支えないほどだとしている。その二隻の軍艦とは、イタリア、ゼノアの造船所で竣工に近づきつつあったアルゼンチン...
2016-12-22(木)Tin Can

アメリカハナミズキ

 1術校西生徒館の前庭に3本のアメリカハナミズキが植わっており、根元に「日米両国民交流の樹」というプレートがある。これは、海兵75期生会が卒業40周年記念行事として期友有志のアナポリス訪問と在校期間の...
2016-12-22(木)Tin Can

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『作戦司令部の意思決定』

『海軍式戦う司令部の作り方』

『海軍戦略500年史』

『Navigating East Asian Maritime Conflicts』

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