海の神様には、総元締めの天照大神から住吉明神、金刀比羅権現、八幡宮、水天宮、観世音菩薩などと様々である。近頃では、あまり気にされなくなったが、この神様たちにも、得手、不得手があるらしく、洋上での遭難救助には金刀比羅宮、海に落ちたものを救うには水天宮、乗り上げ船の救助には善宝寺の加護を祈るのがよいということだ。
住吉明神の社の沖を航走している船は、よく逆風に遭うという。これは神様が供物を所望されているのだから、思し召しに従うとの御幣(ごへい)を海に投ずればよい。それでも風波の収まらないときは、船頭や乗客の大切な所持品、例えば鏡などを海に捨てる。すると、風波は止み、順風に乗って船は走り出すという。
金刀比羅権現の象頭山沖を通るとき、賽銭を板に打ち付けるか、空樽に入れて流してやる。これを拾った漁船や、海岸に漂着しているのを見つけた人は、必ず金刀比羅宮へ届け、黙って着服すると神罰を受けると信じられた。賽銭の代わりに、酒樽を流すこともある。こんな樽を金毘羅樽とか流し樽ともいう。酒樽の場合でも、拾った人は、それを持って代参しなければならない。船で酒樽を拾った人は、それを飲んでも構わないという。波にもまれているから、普通よりずっとうまくなっているというが、真偽のほどはどうか。酒を飲んだ人は、無論、新しい酒を満たして、もう一度流さなければならない。
水天宮は、河童をそのお使いとしているので、海に落ちた人を救い揚げるのはお手のもの、錨が岩に引っ掛かって揚げられないときには、水天宮の神札を油紙に包んで錨綱に通し、重りをつけて海底へ下げてやると、錨の爪が自然にはずれて、簡単に巻き上げることが出来るという。
山形県の善宝寺にある貝喰(かいばみ)池には、竜王と竜女の二匹の竜が棲み、京都天龍寺の開祖、峨山(がざん)和尚七代の法孫、浄椿(じょうちん)禅師がとどまったとき、その姿を現して得度を受け、竜道および戒道との法名を受けたが、その礼として、水の必要な時には、いつでも用立てると約束したという。船が乗り上げたとき、満潮時でなくても、善宝寺に祈願すれば、潮が来て離礁を助けると信じられているのはこのためである。
島根県の隠岐島には、離火(たくひ)権現という神様がある。暗夜に目指す港の位置が分からなかったり、あるいは、針路を定めかねたりするときには、この権現に深く祈願すると火影が現れて、島や岬の形をはっきり認めることができると信じられている。
※本稿は、杉浦昭典著『海の慣習と伝説』(1983年、舵社)の一部を許可を得て転載したものです。