海軍兵学校では、日露戦争後、旅順閉塞隊の生き残りを始め歴戦の勇士を教官に迎え、スパルタ式鍛錬が実施され、訓育では「シーマンシップの三S精神」がモットーとされた。これは、スマート(敏捷)、ステディ(確実)、サイレント(静粛)のことで、日本海軍が「サイレントネイビー」と言われるようになったのも、この時代に端を発している。兵学校のシーマンシップ教育はすでに明治時代のこの頃に完成の域に達していた。
この「三S精神」については、海軍軍人が、狭く、風波、電気機器等の音響のかまびすしい艦内で任務を全うするための「静粛」、精巧な艦船、兵器、機関、飛行機等の機能を安全、確実に発揮するための「確実」、また、瞬時に変転する戦況に即応して機先を制するための「迅速」が要求されるとの考え方に基づいている。
雨倉孝之氏(海軍機関術予備練習生、海軍史研究家)によれば、「スマートで 目先がきいて 几帳面 負けじ魂 これぞ船乗り」という「標語」は太田質平大佐(後少将、兵32)が運用術練習艦「春日」艦長兼「富士」艦長の際に作ったものらしく、大正の末から昭和の初め頃に世に出始めたものと考えられる。この「精神」は、軍艦における動作、兵器・機関の操作に要求される「三S:確実・迅速・静粛」の三要素に「負けじ魂」を付け加えたものとも考えられ、共通した「精神」といえると思う。いずれにせよ標語そのものは、海軍全体の歴史から見ればそれほど古いものではないと考えることもできる。
ちなみに、山本五十六元帥の「やってみせ、いって聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かぬ」は有名であるが、これは当時、海軍の教育標語として既にあった「目に見せて、耳に聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、たれもやるまい」をアレンジしたものといわれている。
(平塚清一「日本海軍の伝統について」海軍兵学校連合クラス会編『回想のネービーブルー』(2010年、元就出版社))