江田島教育参考館の戦死者銘碑の前にお供えしてあるお水鉢の話。
昭和44年に、海上自衛隊の医官を退職された勝田二佐のお母さんが一術校を訪問して水鉢の寄贈を申し出られた。当時の石塚校長が同じ大理石の鉢ならばということで、神風特攻隊員と兵学校出身戦死者のために2個製作された。
寄贈のため来校された勝田さんに寄贈の理由を伺うと、「私は、以前に女官として宮中でお勤めをしておりました。この度のことは女官長からの御依頼なのです。実は、大きな声では言えませんが、御上は、夜御休みの時、時々、夢の中で、西の方の島で戦死者の「水が欲しい」という声を聞かれる由でした。その後、江田島の参考館に戦死者の銘碑があることが分かり、御上の思し召しにより、水鉢の献上が考えられたのです」と、静かに話された。
これは、当時、一術校総務部長を務められた道家康之助氏が平成6年3月、幹部候補生学校の卒業式に参列された折に書かれたものであるが、戦後20年以上も過ぎたにもかかわらず、戦死者が夢に出るということは、よほどの御関心がなければありえないことで、畏れ多いことだと思われたそうである。