吉田俊雄(海兵59期)著『海軍式経営学』(1964年、文藝春秋)によると、海軍における人選び、人に対する評価は以下のようなものだったという。
「兵学校では生徒に対し、誠実と責任感を徹底的に吹き込む訓育を実施した。従って、兵学校を巣立った海軍士官たちは、もともと素朴で、誠実で、責任感が強く、また使命感を堅持するように教育されてきているので、部下の素朴な誠実さや責任感の強さなどは上司の共感を呼び、考課でも上位におかれたといわれる。中少尉の頃は、青年らしい純真さと若々しさの中に情熱と意気を失わず勤務に精励する努力点を全体の半分くらいに重視し、多少の失敗や行き過ぎ、あるいは若さからくる圭角などがあっても、ファイトさえあれば大目に見られる。佐官級では、頭の良い、良く気のつく、俊敏でカミソリのような切れ者、すぐれた技術者的人物といったようなシャープさが重視された。艦長、司令官級になると、今度は部下統率力とか、誠実で香気のある人柄、人間的魅力などが重視された。」
しかしながら、戦後になって、日本海軍では優秀な人物-頭がよく、シャープで、器用で、弁舌が立ち、仕事が早く、キメの細かい能吏的士官-が重用されたとか、あるいはまた「敗戦壊滅の土壇場まで、ただ精勤、保守的、官僚型、小回りのきく事務的人材が幅を利かし、上司に苦言を呈したり、型破りの独創的な考えを出したり、反骨を示したりする人物を捨てて顧みなかった」(高木惣吉氏(海兵43期)所見)等の指摘がなされている。
ここでシャープさか誠実さかという二者択一的な議論をしても、階級やポストによってその求められる比重は異なるであろうし、実際にどのような人物が重用されたかは言い得るものでもない。しかし、幾多の先輩方が、戦に役立ち最終的に大成するのは誠実な士官であるということは言われている。
「迂遠と罵らるるとも、愚直と笑われようとも、終局の勝利は必ず誠実なる者に帰すべしとの確信を有すること肝要なり」と教えられたのは東郷元帥であった。また、豊臣秀吉も藤吉郎時代、蜂須賀小六に対し、黒田官兵衛について「才覚や機略があるというだけのことなら大したことはない。世の詐術師もそうである。官兵衛のおそろしさはそれに加えて誠実なことだ」と洩らしたという。
元日本商工会議所会頭永野重雄氏は「和魂商魂」で次のように述べている。
「(人物発掘の)基本となるものは、才能の有無よりも以前のその人が誠実の人であるかどうかということである。その意味で、私はまず、その人が迎合しない人かどうかを評価することを方針としている。
いくら仕事に慣れているといっても、やはり人間のことであるから間違いはある。そういうときに迎合せずに「それは間違いです」と遠慮なく指摘してくれる人を評価すべきだ。これは結局、その人が「誠実」かどうかという問題だからである。
上の者に異を唱えれば感情を害するだろうとか、叱られるかもしれんという風なことに気を回すのが一般だが、誠実の人なら、そういうことを超越して「私はこう思います」とはっきり言ってくれる。そういう人は、仕事を粗末にせず、対人関係においても本当に親切な人なのである。そのほうがうれしい。そこへゆくと、能力などはあるレベルにまで達すると、さほどの違いはないものである。」
※本稿は、高橋敏「機械、舵宜しい」『波涛』(昭和52年3月)の一部を許可を得て転載したものです。