前動続行型の人物とはどういう人物なのであろうか。前動続行型の人物とは、大過なく自分の職務を遂行することを信条とし、百の業績をあげるより一つの失敗もしないことが出世への早道であるという哲学を身につけている。あるいはまた、自分で意思決定をする責任を回避するために、あらゆる問題について上司に相談を持ちかけ、上司の決定を待って行動するタイプの人物である。

 このタイプに属する人たちは、年とともにバイタリティーを失い、新たな自信が湧くこともなく、迫力のない、人間的魅力のない人物になり下ってしまう。なんとなれば、挑戦するものがなく、自分が経験した範囲のことだけを毎日機械的に、なんの感動もなく繰り返しているのだから当然である。

 また、かかる人たちは組織の中でアグラをかいたまま、腰をあげて組織をゆさぶるようなことは何もしない人物である。前動続行型人物の集団組織の中には、問題意識やバイタリティーが溢れる風土は全く見られず、また創造的な環境のかけらもなく、あるのはただ順応主義の温床だけである。

 したがって、このような風土に育った人たちは、日常的で形式的な、いわゆるルーチン・ワークは着実に処理しているが、将来の問題に対する関心や展望は一切なく、将来の問題を探究する情熱もない。単に小まわりのきく「調法な人物」と評される人たちなのである。組織の中で一流人物か、二流、三流人物かのわかれ道は、向上心と使命感に裏打ちされた問題意識の濃淡によって分けられると思う。そして、この問題意識こそは、その所属する組織の発展の原動力となるものである。

 ある企業では、常に「問題を発見し、問題を創り出せ、問題がなくなったとき、その組織は死滅する」と強調する。問題がないのは望ましいことではなく恐ろしいことなのだ。また、問題を避けて通る習慣-つまりは前動続行型の典型-は、問題への不感症を生み、摩擦を恐れてみだりに他人に迎合する、いわゆる「イエスマン」だけが多い風土は組織の病巣を肥大化させる。そしてかかる組織は、和気あいあいのうちにひそかに衰退への道を辿るのである。 

※本稿は、高橋敏「前動続行について」『波涛』(昭和51年5月)の一部を許可を得て転載したものです。