台所に魚を取りだしたお母さんが、子供に「猫を見といてね」と声をかけ用事に出かける。子供は縁側で昼寝している猫を発見、監視している間に別の泥棒猫が台所の魚を襲撃する。帰ってきたお母さんに、「何を見ていたの!」と叱られる。

 お母さんが「猫を見ていてね」と言ったのは、言い方はともかく一種の任務の付与である。任務の付与の仕方は大体次のような三つの種類に分けられる。

① 上級指揮官が自分に要求する所望結果又は状態、② 或る物的目標とこれに関連ある自分の行動、➂ 自分の採るべき概括的な行動

 「猫を見といてね」は一応②の例に属するが、具体的な物的目標ととるべき行動を自分で更に判断又は推測しなければならない。誰でも②の型、物的目標と、取るべき行動を明示された方が間違いがなくてよさそうに思う。ところが実際の場合には、明示出来なかったり、また明示したが為に却って自分の行動を束縛されて結果的に適当でない場合が出てくる。そこで任務を付与する場合はどの形式ということでなく、常に、情勢と部下の能力を考察して適切な命令を下すことが肝要である、ということになる。

 ところで、凡そ物事を決め行う時に目的、目標を定めずして出発する馬鹿はいない。余りにも当然すぎることだが、実際の場合にはこれ程難しいものはない。

 Unsure, unclear and conflicting objectives are sure roads to military disaster.とも言われる。目的を達成するためには適切な物的目標を選定することが必要なのだが、これまた分かり切った言葉ながら、実戦にあっては、敵は常に我に目標選定を誤らせるように努力するのであるから、余程しっかりしないと目標の選定を誤る。

 レイテ海戦の時、栗田艦隊は当面の物的目標をレイテ湾上の輸送船群におくべきか洋上の機動部隊に置くべきか迷っている。勿論、時機既に遅く、レイテ湾内には輸送船はいないであろうという推測はあった。しかし、それはただ推測に過ぎず情報は得ていなかった。にもかかわらず目標を敵機動艦隊に変更してしまった。如何に練達の指揮官、有能なる幕僚を持つ司令部であっても、戦闘の雰囲気と、そこに立ち込めた迷霧のために適切なる目標の選定という簡単なる原則の実行でさえも困難にするものである。

 更には、諺に「二兎を追う者は一兎を得ず」とあるが、戦争の場合はさらに厳しく、二兎を追えば身を滅ぼす。この分かり切った理屈でさえ失敗するまで気がつかない。それは自信の過剰と敵兵の下算が指揮官の叡知を麻痺せしめてしまうからである。同時に2つ以上の目標が得られそうであり、また自信があったからに他ならぬ。一石二鳥等という名案は結果的にそうなったのであって、初めから狙って成功するものでない。

 ミッドウェー海戦における日本軍の敗北は他に幾多の原因があるであろう。しかしこれを目的の原則という角度から照明をあてて見るならば、当時の連合艦隊司令長官の目標は、①日本本土空襲の脅威を排除するためのミッドウェー島の占領確保、②西太平洋の制海権確保の為の敵機動部隊の捕捉撃滅、➂北方からの敵の脅威を排除し且つ前2項の作戦の牽制の為のアリューシャン群島の攻撃、であったと推測できる。

 勿論今日これを批判する事は容易であるし、また誰でもその欲の深さに気がつく。しかし当時は誰も不思議に思っていない。中には怪訝に思った人があったかも知れないが、確固たる信念をもって意見を具申した人はなかったに違いない。「目標は単一なるが良い」等という理屈は、山本長官は勿論、配下の数ある提督幕僚は百も承知の筈である。

 問題はそこにある。何故か?答は極めて簡単で、「2つでも3つでも同時に実現し、また達成出来そうに思った」からである。そこで同時に2つでも3つでも容易に達成出来そうに思えた情勢においてこそ、「目標は単一であるにしかず」という冷静なる戒心が必要になって来るのである。  

(板谷隆一「目的について」『幹校レファレンス』(昭和35年5月)より)