高木惣吉海軍少将(海兵43期)が評価する古典軍事学にあらわれた精神要素の大要。

 ジョミニの兵術要論(Precis de l’art de la Guerne)には、将帥の資質として、① 大決心をなしうる真勇、② 危難を恐れない胆勇、③ 科学的軍事的知識、特に兵衛の基礎となる原則の体得、④ 人格の崇高、特に他人の器量才能を尊重し、これを抱擁するの度量、の四項を強調し、戦争(作戦)の指導上将帥の器量が重大なる結果を生ずることを論じている。またジョミニは国民に尚武の気性を養成することの必要を説き、もしこれに失敗すればいかに軍隊の編制、制度をよくすることに努めても効果の挙がらないであろうことを示唆した。

 その方法論は百年前の思想であって今日これを応用するには縁遠いのであるが、軍隊と国民との関連性としては、軍隊の社会的、公共的待遇に左右されることを指摘している点は参考とするに足るであろう。また軍隊の軍紀についても、その外形より内面的の信念、情操いわゆる精神要素に重きをおくべきことを説いたのは卓見というべきである。

ハルト将軍の兵術回想録(Recollections on the art of war)にも、精神的要素の戦争における効果の大きいことを詳細に述べている。

 ナポレオンは系統だった兵学を残したわけではないが、彼の言葉として伝えられたものには玩味すべき金言が少なくない。ハルトの回想録にもこれを援用しているものが多い。ナポレオンが、「戦争においては士気と有形的な力とは三と一の比である」と述べたことは有名で、彼が精神力の支配的なことを信じていた証拠とも考えられるが、しかし多くの兵学者が将士の資質として勇気を第一に推したのに対し、ナポレオンは、「兵士の第一の資質は疲労と困苦にたえる恒久心であり、勇気はこれに次ぐものである」(The first quality of a soldier is constancy in enduring fatigue and hardship. Courage is only the second.)と述べたところから、忍耐力を最も高く評価したと思われる。

 軍隊の訓練をかさね、装備の兵器を精鋭なものとし、軍紀を厳正にして砲火の下に冷静なる行動がとれるようにするのは、究極するところ所属の将士の精神力を強大ならしめる過程にすぎない。ところが軍隊の精神的緊張、さかんな士気を低下させる最大のものは、なすところもなく無為に過ごすことだとされている。連戦連勝をかさねたハンニバルの軍隊が、カンネーの大勝に次いでカブア市を占領した以後、ローマ元老院の降伏提議をまって攻撃をひかえ、戦闘が行われなかったので士気大いに頽廃した代表的先例が史上に記されている。マハンも碇泊することを常とする艦隊は、たえず海洋に活動するものに比ぶれば士気の衰えることがはなはだしい、と警告している。

 しかしマハン、コルベット、ダリウその他海戦史または海上戦略の研究家よりも、はるかに熱情をこめて精神的要素の戦勝に及ぼす影響の大きなことを強調したのは旧帝政ロシアのマカロフ提督であった。

 マカロフ(Stepan Osipovich Makarov)はその名著「海軍戦術論」においてこの問題を大いに追究した。マカロフ提督の研究は比較的に詳細にわたっているが、なお主将または指揮官の立場にあるもの、水兵または兵士、政府または国民の精神的問題が渾然たるままで説きならべられた形で、その点明確な理解がしにくくなっている。彼はクラードの所見を引いて、戦闘の終局に戦勝者と戦敗者の相違はただ士気の一点だけといっている。

 軍艦乗員の士気を盛んにするに、艦長並びに将校の指導の適否に左右されることの大きいことを説いているが、その指導法は千篇一律で成功するものでなく、時と処と相手によって変ることを述べている。軍隊の士気を振いたたせた名将として彼はスウォーロフ、ナポレオン、ネルソンの三人をとり、海軍として特にネルソンに学ぶことの多大なことを繰りかえした。彼は軍事的に貴重な精神力は、① 難局に出遭ってもすぐに決断できる機智、② 剛毅果断、③ 危急にのぞんで冷静を失わぬ判断力、の三項をあげているが、陸戦では戦闘の経過が漸進的であって、観察の余裕があるが、海戦ではもの、ことが短時間にあい次いで起ってくるので、寸秒を争って決断と処置を要するから、陸戦よりも海戦のほうが精神的要素の及ぼす関係は重大だと論じている。マカロフがネルソンの資質の中で高く評価しているのはその忍耐力と、剛毅の構神と、底しれぬ勇気とであった。

 マカロフ提督の戦術論に見られる精神的要素の研究は特色あるものであるが、戦争との一般的関連性において精神的諸力を最も深く、しかも詳細に論じたものはやはりクラウゼヴィッツの戦争論である。戦争論第一編及び第二編は、軍事的天才の章で指揮官の精神的素質にふれ、戦争理論の章において精神的諸力とその効果とを詳しく究明している。

 クラウゼヴィッツは軍人の要する第一の特質を勇気としたが、単に勇気といっても危険に対する勇気、責任に対する勇気、知能技術を基礎とする勇気などを分析した。次に戦闘の渦中にあって毅然たる行為をとり得るためには、情報の不明確と偶然の連続する中でいつも光明を見失わず、真相のいずれにあるかを把握させる知力であり、またこのかすかな光りを頼りとして重大なる処置をなしうる決断力が大切な素質として説かれている。

 更に第四の素質として沈着をあげているが、その説明によれば、マカロフが強調した機智や判断力は、クラウゼヴィッツによれば沈着の働きとされている。すなわち戦史家によって剛毅といい、頑強といい、忍耐といい、性格および感情の強靱というのはいずれもこの精神力が戦争のいろいろな条件に応じて現われたものだとするのである。特に選将の結論とも思われる次の一句は極めて興味ある見解というべきであろう。

 「戦争にのぞんでわれわれの子弟の生命、祖国の名誉と安全とを託しうる人物は、建設的なるよりはむしろ反省的なる人物、一方的にある方向を追求する人物よりもむしろ全体を総括する能力ある人物、熱狂的な頭脳の持ち主ではなくむしろ冷静なる頭脳の持ち主である」

 戦争理論の中では、軍事的活動の対象が単に物質ばかりでなく精神力も対象となるもので、両者を離すことは不可能だと断定した。また精神力とその諸効果を究明したところでは、国民及び軍隊を含めた一般の敵対感情(国民的憎悪、敵愾心)、名誉心、支配欲、いろいろの感激と興奮が要素となることを明らかにした。また戦闘は危険のうちに終始するものであって危険に対して人は恐怖、不安および勇気の反応を示すものである。ところが戦闘を左右する感情はこのほかにもいろいろであって憤怒と感激、驕慢と謙虚、羨望と寛仁などがそれである。

 以上はクラウゼヴィッツの所論の要約にすぎないが、彼の研究が戦争(または争躇)と精神的諸力との関係を哲学的に掘り下げたことは肩をならべるものがないであろう。ただ時代の影響から国民的結束(有形無形の)や、経済的要素の重要性を掘り下げるに至らなかったことはやむをえなかったことと思う。

 クラウゼヴィッツの兵学思想はその後モルトケ、ゴルツ、シュリーフェンなどによって継承され、発展されたが遂にはベルンハルディのような極端な好戦的殲滅戦争論の展開にまですすんだ。ただ精神要素の重視という観点においては、ドイツと宿敵の間柄にあったフランスが1870~1871年の敗戦後、クラウゼヴィッツ思想を消化し、発展させた結果、その代表者としてフォッシュ元帥を出すに至ったことは注意すべきことである。

 フォッシュの根本概念とも思われるものは、Battle = A struggle between two wills、War = The domain of moral force、Victory = Moral superiority of the victors, moral depression of the vanquished、という三つの公式によく表現されている。彼が従来の兵学において精神力は敵味方相等しいと仮定して、ただ物質的要素の大小強弱およびその運用だけを研究した誤りを指摘し、精神力の比重を支配的なものと見たのは確かに卓見には違いなかった。

 第一次大戦の最大の危機にのぞんで(1918年3月)、ヘーグ、ベタン両将軍ともに退却を考えたときひとりフォッシュが、「諸君は、戦われなければ戦われないでよい。が、私は徹頭徹尾戦う。アミアンの全面で戦い、アミアンの中で戦い、アミアンの後方で戦う。私は終始戦い続けるだろう。」(クレマンソー著「戦勝の栄光と悲哀」)と叫んで連合軍の頽勢をもりかえしたことは、彼が自らの信念を現実に行った生きた証拠とされている。しかし彼の精神主義は極端に走って、「敗戦とは自ら敗れたと信ずることである」と主張し、戦闘は物理的に敗るるものではないから、戦闘はただ精神的にだけ敗るるものである、という神がかりに近いものとなってしまった。

 ただし、さすがのフォッシュ元帥も第一次大戦後は戦前の主張をやわらげ、大戦の苦い経験を反省して、大戦の初めにわれわれは精神だけを評価すべきだと信じていたが、それは幼稚な概念であった、と述懐した。しかしフォッシュの精神力強調は、普仏戦争に敗れたフランス兵学界を革新する意義をもったもので、歴史的背景のない単純な精神主義でなかったことは、知識が根本であって、それには知能、判断力、分析力および綜合力を持ち、更にそれらの力を発展させることの重要性を繰り返したことによっても明白である。

(高木惣吉「古典軍事学にあらわれた精神要素」第一部(1958年、防衛研修所)より)