米国ユタ州立大学のコリン・フリント教授は、黒海における海戦が及ぼすロシアへの影響を大要次のように指摘している。

 ロシアとウクライナの間で進行中の戦争は、主に陸と空で過酷な戦闘が行われており、ロシアが優勢を保っているとみられる。一方、海上でも黒海の支配権をめぐる戦いが続いているが、こちらではロシアが見事に敗北した。この敗北は、海軍を用いたロシアの戦力投射能力を制限するとともに、ロシアが海上において台頭した中国のジュニアパートナーとして協力関係を強めるという結果をもたらした。

 黒海をめぐる戦い

 伝統的な地政学理論は、世界政治を過度に単純化する傾向があり、19世紀後半にさかのぼる理論では、大国はランドパワーまたはシーパワーに分類されていた。イギリスの地政学者ハルフォード・マッキンダーやアメリカの理論家アルフレッド・セイヤー・マハンなどの思想家は、シーパワーを民主的自由主義と自由貿易の特徴を持つ国と特徴づけ、対照的にランドパワーはしばしば専制的で軍国主義的であるとした。

 このような一般化は、歴史上、敵を悪者扱いするために使われてきたが、世界を陸と海のパワーに分けるという人為的な傾向は未だみられ、海戦と陸戦はやや別物であるという見方が続いている。そして、この見方は、ウクライナとの戦争におけるロシアの戦果について誤った印象を与える。モスクワは確かに陸空で一定の戦果を収めているが、ロシアがウクライナの海岸線から撤退し、前線海域から艦艇を遠ざけなければならなくなっている黒海でのロシアの明白な敗北から目をそらすべきではない。

 最近の自著「Near and Far Waters: The Geopolitics of Seapower」で述べているように、海洋国家は2つの傾向を抱えている。すなわち、自国の沿岸や「近い水域」に対しては管制を試みなければならない一方で、そうする能力と意図を持つ国は、海を越えて他国の近海である「遠い水域」に戦力を投射し影響力を及ぼそうとすることだ。

 黒海は、南にトルコ、西にブルガリアとルーマニア、東にグルジア、北にウクライナとロシアなど、黒海を取り巻く国々の近海域を含む密閉された比較的小さな海だ。黒海の近海域の管制権は、何世紀にもわたって争われており、現在のロシア・ウクライナ戦争でも同様だ。

 2014年にロシアがクリミア半島を掌握したことで、ロシアはセヴァストポリ軍港を支配することができた。ウクライナの海域にあったものが、ロシアにとっては事実上の近海域となった。これらの近海を管制することで、ロシアはウクライナの貿易、特に遠方海域にあるアフリカへの穀物の輸出を混乱させることができた。

 しかし、ロシアの行動は、ルーマニア、ブルガリア、トルコの協力によりウクライナの貨物船が彼らの近海域を通過し、ボスポラス海峡を通って地中海に入ることを許可したことで阻止された。ウクライナは、これらの他国の近海を利用したことで、2024年第1四半期に月間520万トンから580万トンの穀物を輸出することができた。確かに、これは戦争前のウクライナの月間約650万トンの輸出に比べると少ないが、その後、ロシアの攻撃と脅威により2023年の夏にはわずか200万トンに減少していたことを思えば大幅な増加だ。

 黒海のウクライナ近海域に対するロシアの支配を抑制しようとする各国の取組みと、ロシアがNATO諸国の近海域で船舶を攻撃した場合に直面する結果を避けたことから、ウクライナは依然として経済的利益のために遠海域にアクセスし、その国家経済を維持することができたのだ。

 プーチンにとっての沈没する感覚

 このようにロシアのウクライナの輸出を妨害する能力は阻害されたのだが、ロシアはウクライナからの直接の海上攻撃も受けている。2022年2月以降、ウクライナは無人攻撃ドローンを使用して、ロシアの艦艇を沈没または損傷させ、ロシア黒海艦隊の戦前の約36隻のうち約15隻を沈め、他の多くの艦艇に損害を与えた。

 この結果、ロシアは、セヴァストポリの使用を制限し、黒海東部に艦艇を待避させることを余儀なくされている。クリミアの掌握を通じて獲得した近海では効果的な部隊運用ができていないのだ。ロシアがウクライナに対して海軍で敗退したのは、歴史上みられた海軍力投射における困難さと、その結果として主に近海域の防衛に焦点を当てる傾向の最新の例といえる。

 1905年、ロシアは日本海海戦において劇的な海軍の損失を被ったことに衝撃を受けた。しかし、これほど完全に敗北しなかった場合でも、ロシアの海軍力は歴史的に絶えず制約されてきた。第一次世界大戦で、ロシアはイギリス海軍との協力によってはじめて、バルト海におけるドイツ商船の活動とトルコの海運と軍事行動を黒海内に制限することができた。

 第二次世界大戦中、ロシアは連合国からの物資支援に頼り、その海軍はバルト海と黒海の港湾に大部分が封鎖された。多くの艦艇がドイツとの領土争奪戦のために砲兵用として艦砲を陸揚げしたり沖合からの艦砲射撃など、沿岸近くでのみ運用された。

 冷戦時代、ソビエト連邦は高速ミサイル艇と航空母艦を建造したが、遠海域への展開は潜水艦に依存していた。ソビエトの地中海艦隊の主な目的は、NATOの黒海への侵入を防ぐことに限定されていた。

 そして今、ロシアは黒海の管制を失い、かつては安全が確保されていた沿岸水域においてさえも艦艇を運用できなくなり、黒海から地中海に海軍力を投射する能力は低下してしまった。

 キャプテンの座を中国に譲る

 自国の裏海で明らかに後退し、近海で弱い立場に置かれたロシアは、結果として、遠海域の海軍能力に多くの投資をしている中国との協力を通じてのみ、遠海域に戦力を投射することができる。

 2024年7月に南シナ海で行われた合同海軍演習は、このような協力の例である。中国人民解放軍は演習について、「中露合同パトロールは、両国間の多方向・多分野での協力を深め、実際的な協力を促進した」と述べ、将来を見据えて、演習が「海上安全保障の脅威に共同で対応する双方の能力を効果的に強化した」とアピールした。この協力は、ロシアにとって純粋に軍事的な観点から、相互に有益な海軍力投射プロジェクトとして理にかなったものだが、そこから得られる利益は主として中国に帰するものだ。

 ロシアは、中国が北方の近海域を防衛し、北極海を通じて遠方の海域へのアクセスを確保するのを助けることができるが、これは地球規模の気候変動が海氷による障害を減らす中で、ますます重要性を増している分野である。

 しかし、ロシアは依然として中国のジュニアパートナーである。モスクワの戦略的利益は、中国の利益と一致する場合にのみ叶えられる。端的に言えば、シーパワーとは、経済的利益のための戦力投射に関するものともいえる。このような考えのもと、中国はアフリカ、太平洋、ヨーロッパ、南米の遠洋に及ぶ経済圏を保護するために、ロシアを利用する可能性が高いが、ロシアの目標のために自らの国益を危険にさらす可能性は低いだろう。

 ロシアは、特にサヘル地域とサハラ以南のアフリカで、遠方の経済的権益を持っていることは確かだ。そして、アフリカにおけるロシアの権益を確保することは、インド洋における中国の海軍のプレゼンスの増大を補完し、自国の、そしてより大きな世界経済の利益を確保することになる。しかし、このような協力も依然として中国の要請が前提となるものである。

 ウクライナでの戦争の結果、黒海近くの海域に閉じ込められているロシアが現在、海軍力を誇示する唯一の手段は、中国の定める条件下でのジュニアパートナーとしてアフリカとインド洋の遠海域にアクセスすることである。ロシアがウクライナとの戦争で陸上で勝利を収めたとしても、自力で海を越えて戦力を投射できない状態を補うことはできないのだ。

参考資料:Colin Flint, “Bottled up in the Black Sea Russia is Having a Dreadful Naval War,” (Oct 4, 2024, The Conversation)