「護衛艦って何を護衛するんですか?」という質問をうけることがある。将来、ちゃんと駆逐艦と呼ばれることになった時のために調べてみた。

 海軍の歴史上、敵の大艦を襲撃するために水雷艇が現われ、その水雷艇を「駆逐」するのが水雷艇駆逐艦=駆逐艦ということになる。この駆逐艦が登場したのは日清戦争当時の英国海軍だった。排水量わずか200~300トン、速力27~30ノット、わが海軍もその最新鋭艦16隻を買って日露戦争を戦った。

 水雷艇駆逐艦のおかげで水雷艇は役に立たなくなり、ついに「駆逐艦」と略称されるようになった。なお、英語ではTBD (Torpedo Boat Destroyer)と略した。元海軍教授の平賀春二氏によれば、この名付け親はフィッシャー提督であり、「将棋の「歩」のような船で、いつ何時、魚雷一発、大船をたちまち轟沈させて「金」に成るやもしれぬしろものである」としている。(『波涛』2002年11月号)

 ずっと後になって、ドイツ海軍は水雷艇及び大型水雷艇の呼称に代わって、駆逐艦という名前を用いたが、それはZestörerつまりデストロイヤーの独訳である。フランスではContre-torpilleurつまり水雷艇反撃艦と称したが、その後、デストロイヤーはいずれの国でも通ずる呼び名となった。

 第二次大戦までに、タービン機関、重油燃料、特殊高張力鋼の採用そして高温高圧ボイラーと歯車減速(ギヤード)タービンが普及し、駆逐艦は飛躍的に発達し、2000トン、35~40ノットの大型駆逐艦となった。

 今日では、さらに大型化、高性能化が進み駆逐艦は万能艦となった。それを称して、艦隊の「馬車馬」(Work horse of the Fleet)とか「よろずや軍艦」(Jack of all trades)と呼ばれることもある。日本の護衛艦も世界的には駆逐艦の分類に相当する。

 米海軍では、駆逐艦のニックネームをティン・カン(Tin Can:ブリキ缶)という。駆逐艦の船体が薄い鉄板でできており、日本海軍の特型(吹雪型)でいえば、一番厚い中央部でも、キールが19ミリ、その左右の艦底部は16~8ミリ(いずれも特殊高張力鋼)、舷側は最上方の舷側厚板が15ミリ(材質同上)、その下方の喫水線付近は7ミリ(高張力鋼)に過ぎない。そして艦の前後部ではもっと薄く、わずかに4.5~6ミリ程度となる。このような薄板は加工して船体に取り付ける前に亜鉛メッキをする。つまりブリキ製となるのである。ティン・カン、つまり駆逐艦の所以である。そして米海軍の駆逐艦乗り仲間は、自らを”Tin Can Navy”と称し誇りとしている。

 (参考資料:福井静夫著作集第5巻『日本駆逐艦物語』(光人社2008年))