防空識別圏(Air Defense Identification Zone)とは、一般に各国が防空上の必要性から、侵入する航空機の識別、位置確認等を行うため、国内措置として領空に接続する国際水域の上空に設定したもの(与那国島上空の境界線を「引き直した」のは記憶に新しい)であるが、国際法上確立された概念や定義があるわけではない。
領域外の空域飛行に関しては、公海上空飛行の自由(国連海洋法条約87条)及び排他的経済水域上空飛行の自由(国連海洋法条約58条1項)により、いかなる国もこれらの自由を制限する権利を持たないが、1950年のアメリカ(防空識別圏に入る場合の位置通報を義務化、違反に対し刑事罰あり)及び1951年のカナダ(防空識別圏を通過する場合の位置通報を要求、違反に対し軍用機による飛行阻止の可能性(刑事罰なし))の防空識別圏の設定に始まり、多くの国がその規則の内容は幾分異なるものの防空識別圏を設定している。我が国も1969年に「防空識別圏における飛行要領に関する訓令」により、その範囲(米軍が設定していた防空識別圏をほぼ踏襲)を定めている。一方で、欧州などの大陸国では、国境を接しているため領空の周囲に防空識別圏を設定しない国が多い。
このような国家実行に対し他の国家からの非難や反論等はなく、いわば黙認されてきたのであるが、その理由は、設定国との友好関係維持という政策に由来するものと一般には解されており、これらの例をもって領空外に防空識別圏を設定し、外国航空機に強制措置をとることを合法とする慣習国際法上の原則が確立したとはいえないと解されている。
ここで2013年11月23日に公示された中国の「東シナ海防空識別区航空機識別規則」を見てみると、防空識別圏が中国領域外の空域(国際水域上空)に及び我が国固有の領土である尖閣諸島の領空を含んでいるにもかかわらず、識別圏を飛行する航空機すべてに対し(日本は領空に接近する航空機のみ)事前の飛行計画を通報(日本は有視界方式で飛行する航空機に対して飛行計画の送付等を要請)及び識別に関する質問への応答を義務づけ、識別に協力しないあるいは指令に従わない航空機に対して実力を行使(中国の武装力は防御的緊急措置を行う)することを明示している。
我が国政府は、この中国側の措置に対し、①国際法上の一般原則である公海上空における飛行の自由(中国も国連海洋法条約に加入している)を不当に侵害するもの、②中国外務省が航空当局に飛行計画の提出を義務づけ、一方的に中国の規制を強制、③我が国固有の領土である尖閣諸島の領空があたかも中国の領空であるかのごとき表示をしている、④現状を一方的に変更し事態をエスカレートさせ不測の事態を招きかねないものとし、全く受け入れることはできないとしている。
さらに、防空識別圏内に日本政府が在日米軍に提供している訓練空域1カ所と射爆撃場2カ所が含まれているが、これまで米軍はどの国へも通告なしで使用していることから中国の指示に従うことは考えにくく、この点からも懸念される。
これら中国の防空識別圏そのものが及ぼしうる問題点のほかに、中国が防空識別圏を海洋権益の確保とリンクさせている可能性があることも大きな問題点である。今回設定された中国の防空識別圏の外縁と東シナ海200m等深線、すなわち中国が考えているとされる排他的経済水域の外縁(ただし、国連海洋法条約上、排他的経済水域の最大外縁は基線から200海里(57条)とされている)とは概ね一致している。中国海軍軍事法院院長の傅暁東は、「中国の防空識別圏の範囲は我が国領空以外に接続する我が国の排他的経済水域上空域一帯としている」と明言しているとされ、「EEZの上空がADIZ」と言わんばかりの中国の独特の考え方が窺える。
ADIZは国際法上規定されるような「領域」(国際法上の領土、領水、領空の総称)ではなく、いわば防空作戦のため設定された便宜的「区域」であることをしっかりと認識すべきであり、努々中国式解釈に惑わされるようなことがないようにしなければならない。
話のついでに、「領海侵犯」という言葉を法律用語である「領空侵犯」に対応する用語として用いているかのような例を目にすることがあるが、許可のない「進入」をもって直ちに「侵犯」とされる「領空」と異なり、外国船舶の無害通航権が認められている「領海」では「進入」したことをもって直ちに「侵犯」とはならない。
これは、歴史的に海洋を諸国民共有の財産と考え、一定のルールの下でなるべく広く自由に活用してきた海洋国家の考え方が根底にあるとも考えられる。こういうことから、我々は自国領海内における外国船舶による「無害でない通航」について「領海侵犯」ではなく「領海侵入」という用語を使っていると理解している。
ついでのついでに、近年、中国共産党、政府、人民解放軍をはじめとする中国各界が中国の海洋権益について語る際に「海洋国土」と言う用語を頻繁に用いていることは広く知られているが、接続水域のみならず、EEZ及び大陸棚を包含する用語であり、「国家管轄海域」とも呼んでいる。海洋国家と大陸国家の「領域観」の違いはかくも大きいということだろう。