海軍、海上自衛隊の特質として「一致団結、旧套墨守」とか「伝統墨守、唯我独尊」と揶揄などされると、伝統(旧套)墨守については言われていることも分かりやすく、我々も「よい伝統」の継承に努めなければと多少の自戒の念も起きるのであるが、一致団結がそれほど悪いことなのか、唯我独尊とまで言われることがそれほどあるだろうかと思いがちである。海軍では法務士官で戦後は陸幕長、統幕議長を歴任した栗栖弘臣氏が、水交会顧問として水交会創立50周年に際して2002年に寄せた「門外漢の海への思い」という一文。

 一つだけ苦言を呈することをお許し願いたい。それは、海軍軍人、海上自衛官は独りわが道を往く気概が強すぎるのではないかということである。

 海軍の気風は元来そのようなもので、三軍統合を進めた英、米、加とも、強く反対したのは海軍だった。わが国でも戦争末期、陸軍が航空の統合を提案した時にも海軍は反対した。海の事は俺達でなければ分からないとの自負と上下団結は理解できるが、それが強過ぎて真の統合に水を差すようでは困る。自衛隊の統幕内にもこの傾向が窺われた。万一水交会の気風がその延長であれば、引いて現役諸官にも独善意識が強まることになる。海の専門職としての誇りは持ちながら、他の領域への理解と他分野との共存が欠かせない、と愚考する。

 筆者は、日本が島国である以上、軍備の中心は海軍であるべきだと考えている。そのためにも、海軍だけで小さく固まるのではなく、広く国家、国民の関心を喚起する必要がある。旧海軍が政治に超然としていたことを良き伝統として引き継ぐ傍ら、国家全体の進運をも憂慮する気宇が欲しい。

 栗栖氏が指摘している「他の領域への理解、他分野との共存」が不足しているということは、結局、己を知らない、己の充実が足りないということの裏返しではないだろうか。例えば「海ではこれが伝統だからこうやる、これがシーマンシップなんだ」だけでは通用しない。事の本質を理解することなくその形式的な部分だけを相手に押しつけても反発されるだけだろう。何故そうなっているのかを相手に説明できるだけのものを自分で持てば、相手も納得するだろうし、相手のやり方も受け容れる余地があることも理解できるようになるということだろう。