艦隊保全主義(Fleet-in-Being Doctrine)、要塞艦隊主義(Fortress Fleet Doctrine)という言葉がある。

 要塞艦隊主義は、艦隊が要塞に身を託し、要塞の守備に専念し、要塞と生死を共にすることであり、日清戦争における威海衛の清国艦隊で終わりを告げたと思われていた。しかし、20世紀初の海戦において、ロシア艦隊が旅順口において再演した。ロシア艦隊は、8月10日の前には2回日本艦隊と交戦したが、ともに砲台の着弾距離内で行動し、日本艦隊を誘いこんで艦砲と要塞砲で挟撃するという常套作戦以外に一歩も出なかった。

 伊藤正徳は『大海軍を想う』(2002年、光人社NF文庫)において、「ロシアは、政策的に攻撃的であり、作戦的には守勢的の国である。…その防御的な民族心理が海上決戦を主目的とする艦隊を支配したことはロシア海軍の不幸、また祖国の不運であった。」とし、もし、洋上に出撃し日本艦隊と戦い、互角の海戦を敢行し、お互いに主力艦三隻ずつでも沈めていれば日本海海戦の結果は逆になったのではないかと指摘する。

 一方、「艦隊保全主義」とは、1690年、英仏ビッチーヘッドの海戦において、英長官アーサー・ハーバードは決戦を断念して退避し、敗戦の責を問われた査問委員会で、「The enemy can not invade us while we have a fleet in being.(我に艦隊が保全されている限り、敵はわが国を侵略できない。)」と弁明した。この語尾の一句がフリート・イン・ビーイングという戦略思想の名を残すことになり、今日に至っている。

 ハーバード提督は確かに敗戦退却したが、前年バントリイ湾の戦勝で爵位を授けられたばかりであり、彼を弁護する提督が多かった上に、敵が上陸を強行しなかったこともまた事実であったため罪を免れるとともに、この思想に逆に生命が与えられ、長寿300余年にも及ぶことになったとも言える。 

 この二つの異なる用兵術には、できるだけ決戦を避けて兵力を保存しようとする考え方において共通しているが、「保全」という「手段」が、往々にして「目的」に転化し、肝心の決戦を回避する風潮を生みかねないところが問題である。艦隊保全主義については、決戦を回避する戦意不足の指揮官に、「戦略的な」口実を与えてきたことが指摘されている。

 思うに「○○主義」とか「○○ドクトリン」という言葉は、それが生まれた背景や、成立する条件を正しく理解し、眼前の状況をよく吟味した上で適用しないと「戦略的な」過ちを生みかねないので注意が肝要である。