山本権兵衛海軍大臣は義和団事件に際し、南海における必要な地点に警備艇を巡航させていたが、たまたま廈門港の警備に当たる軍艦に対し、我が領事館及び在留邦人を保護する必要上廈門砲台を占領しようとする場合、どのように実行したらよいか、適切な手段方法を調査研究するよう内命した。そして本件を慣例により陸軍に内報した。

 桂首相は海軍が廈門占領を企図する以上、陸軍においても相当の措置を講ずる必要があると判断し、允裁を経て児玉源太郎台湾総督に命令を発した。ところが児玉は性急に台湾守備軍中から若干の陸軍兵を割いて汽船に乗せ、廈門に向けて出発しようとしているとの報告があった。そこで桂は今後の措置について海軍と相談したいとして、山県以下陸軍の首脳の集まりに山本を招いたのである。

 山本はこれを聞いて驚き、陸軍の行動は海軍が警備艇に与えた内訓を、海軍が廈門占領を実行しようとしているものと誤解しており、これは甚だ早計であるばかりでなく、国際上物議を醸す恐れがあり、大いに不可であるから取消して欲しいと述べた。江藤淳著『海は甦える第一部』(1976年、文藝春秋)ではどうか。

 桂がやり返した。「そうはいっても、海軍が警備艦に命令されたのも允裁を経ているのでしょう。この種の事柄は軍令に属すべきものでありまして、大臣の専権で行なわれるべきものではありませぬ。」

 権兵衛は、はじき返すようにいった。「いや、これは允裁を経ておりませぬ。海軍では、かようなことは軍艦外務令の趣旨によって、平常の場合でもできることになっております。たとえば、領事館員や居留民を保護するのは当然の任務でありますし、砲台占領を必要とする場合を想定して、その方法等を講究調査するのは他日の参考資料にするというまでのことで、なにも今すぐ占領を実行しようという意味ではありませぬ。」

 それぐらいのことがわからないのか、という眼付で、権兵衛は、桂と山県を当分に睨みつけた。彼は言葉をつづけた。「したがって、これらのことはなんら非常の措置ではなく、平常時に軍艦を海外に派遣する場合でも、允裁を経ずに海軍大臣の職権で訓令することになっております。しかし、万一外国領土内で軍事行動をおこし、廈門砲台を実際に占領するというような場合には、允裁を経て発動を令するはもちろんです。」

 どうも、桂の計画の周辺には山県の匂いがただよっていた。権兵衛は、さらにいった。「海軍としては、廈門出兵を命じた陸軍の命令を、即座に取り消されるよう切望いたします」

 「そう簡単には参らぬのであります」桂が頑張った。「なにしろ允裁を経ていることでごわすから、これを取消すのは容易なことではごわさぬ」と、大山参謀総長が助太刀を出した。

 権兵衛は形をあらため、一座を睨みまわして声をはげました。「お話のごとく、台湾より出兵をそのままにしておかれるとすれば、現下の情況にかんがみ、かならず国際問題を惹起して、容易ならざる事態に立ちいたるにちがいありませぬ。かかる命令は、速かにお取消しあらんことを切望します」

 権兵衛は、やや語調を変えてつづけた。「もしこの場合、廈門方面の海上において帝国軍艦が武装者を乗せた船舶の彷徨するのに際会し、海賊船と見てこれを撃沈したとしても、この軍艦を批議すべき合法的論拠は存在しません。国際法は、海軍が海賊船を処分することを正当と認めております。」

 一座はまったく顔色を失った。要するに海軍大臣は、廈門占領を強行しようというのであれば、陸軍の御用船を海賊船とみなして撃沈することも辞さないというのである。桂と大山が、ややあって種々弁明を試みたが、結局このときは権兵衛の意見が通り、台湾からの出兵は中止された。