私(元海軍中将澁谷隆太郎(海機18期))は艦政本部長として終戦処理当面の仕事をやったが、アメリカの調査団があれこれとひっきりなしに技術資料を要求した。こんなことでは貴重な資料が悉くアメリカに持って行かれ、日本には断片的なものしか残らなくなる事を憂慮し、大掛かりな技術資料調査の必要性を海軍大臣に提出した。海軍省では作戦資料蒐集委員会が設けられていたが、その中で技術資料調査もやることになった。私は目ぼしい技術者500人を選び、14コ班に分け夫々の班長に調査項目を割り振った。
昭和21年3月には社団法人生産技術協会なるものが出来たので、従来の仕事をここに移した。集めた技術資料の総目録は関係会社その他の団体に配布し、その求めに応じて直ちに資料を提供できる態勢をとった。その中で需要の多いものは本にしたが、「実用工学便覧」の如きは技術者の虎の巻として最も好評を博しているテキストである。雑誌「生産技術」も毎月発行している。防衛庁に艦船建造の議が起こってからは益々忙しくなってきた。
海軍技術は日本海軍と共に生長して来た70年の所産の累積で、まことに貴重なものである。終戦後既に十余年を経過し、技術は著しく進歩したが、更に一層これを躍進させるためには、技術発達の歴史まで遡ってこれを掘り下げなければならない。その意味において、海軍技術は依然としてその貴き価値を失わない。我々は日本海軍のこの貴き遺産を最も有効に活用したいものと念願し折々努力している。
※本稿は、『帝国海軍提督達の遺稿 小柳資料』(2010年、水交会)の一部を許可を得て転載したものです。