終戦時、私(元海軍中将福留繁(海兵40期))は第十方面艦隊長官その他を兼務しシンガポールのセレター軍港にあった。8月26日にマラッカ海峡の英艦艦上で予備交渉が行なわれ、9月2日にビッグス大佐率いるイギリス海軍接収部隊がセレター軍港に乗り込んできた。

 ビッグス大佐は昭和20年5月には我が第五戦隊と交戦し、旗艦「羽黒」を雷撃撃沈した勇士であったが中々のジェントルマンで、初対面の挨拶で日本海軍が終戦後もよく秩序が保たれていることを賞賛した。また、勝って驕らず敗者に対する同情と最後まで勇敢に戦った日本海軍に対する賞賛の気持ちで我々に接し、私に対しても常にアドミラルとして敬意を払っていた。私は出征の餞として贈られた銘刀を持っていたが、いずれ武装解除になれば誰の手に渡ることになるかもしれないので、大佐に記念品として贈呈したい旨申し出たところ、彼は御好意は誠に有難いが、キングス・レギュレーションに従えばこのような公務執行の場合、贈呈を受けるべきでないとされているので、折角ながら御辞退したい、しかし、貴下との交誼は今後とも永く続けて行きたいと言った。私はその言葉に頭の下がる思いをした。指揮官がこのようであったから部下達の行ないも実に奇麗であった。

 海軍関係の引渡し接収作業は約2週間に亘ったが、途中チャンギ刑務所の抑留されていた英豪人が解放され略奪隊となったときも適切に対処してくれ、全体として極めて精細に且つ円滑に行なわれた。ビッグス大佐は、任務を終了し駆逐隊を率いて帰国する際、私に挨拶に来て「海軍関係には一つも事故が起こらなかった。さすがは日本海軍だ。私の日本に対する好意は生涯変わらないだろう」と述べた。

 その後我々は約2年間、英海軍司令官の管理下に置かれたが、私が訪問すると必ず先方の参謀長が出迎え見送りをする。そして対談は必ずアドミラル同士で行ない、参謀長以下は席について司令官の質問に答えるだけである。メモは司令官が自らとり、用談が済むと必ず私に見せてこれでよいかと念を押し、後刻必ずタイプの写しを送ってきた。英海軍の将官級は大抵第一次世界大戦の経験者で、中には日本海軍と共同作戦をしたものもあって同情的でもあった。イギリス軍の終戦処理は、この外にも引揚者名簿の管理、日本占領時代の軍事裁判の判決の取り扱いなど文明度の高さを示すものであった。

※本稿は、『帝国海軍提督達の遺稿 小柳資料』(2010年、水交会)の一部を許可を得て転載したものです。