高木惣吉少将(海兵43期)が「現代戦争論」(『高木惣吉少将講話集』(1979年))の中で語る会議の秘策。

 戦時においては、特に景気のよい積極論が大勢を支配しがちであり、これを慎重論で抑えるのは公開の席上において非常に困難と思われる。

 問題の内容とその深刻さによることであるが、大体において開戦、終戦、決戦、和平などという重大問題のときは、利害相半ばしあるいは利害の予測が難しく、その議論も出尽くすのが通例であるから概して秘策などというものはない。

 しかし全く策が無いかといえば、策無しというものではない。かかる場合に根本となるのは慎重論をとる人の態度もしくは決心である。山本五十六大将健在の頃よく揮毫された一句に、「天下滔々たり億兆の民 誰かまさに良策を将うて辺塵を払わんや 扼腕憤激する豪談の客 多くはこれ生を貪り死を畏るるの人」とあったが、私の狭い体験では「多くはこれ」でなく「悉くこれ衆にへつらい死を畏るるの輩」と言いたい気がする。

 さて、そういう迎合家が多く、人気取りの流行する公開の席で正々堂々慎重論を正面から闘わすのは、勇ましいのは勇ましいが、まずそれは斬り死にと思えば大差ない。特にそういう主張の張本人がやはり立身出世を肚の底に潜めていては勝負にならぬ。

 かような場合、日本では特にそうであるがやはり個々に撃破するという政治的手段が必要である。例えば決定的ヴォート(vote)を持つ人が3人と仮定すれば、そのA、B及びCの3人に最も信用のある、または親しみのある決死隊員を出して会議の前に十二分に当方の意見を吹き込むことである。

 もし反対派の工作がある際は、その反対派の主張に客観的妥当性がないという情報、判断資料を熱心に流しておいて、会議がいよいよ決定されるという直前、いわゆる追い込みにおいて強く味方の主張を吹き込むことである。

 説く人の覚悟と熱意によるが、まず成功する。会議場の派手な議論はやってもいいが、会議場の正論で勝ったと思っていたら大変な認識不足である。もし慎重論を会議で争うとすれば、守勢的な戦い、換言すれば積極論の危うい点、不利な点つまりアラ探し、暴露だけに止めて主張を出さぬ方が有利である。

(「現代戦争論」『高木惣吉少将講話集』より)