「戦道必ず勝たば、主は戦う無かれと曰うとも必ず戦いて可なり。戦道勝たずんば、主は必ず戦えと曰うとも戦う無くして可なり。故に進んで名を求めず、退いて罪を避けず、唯だ民を是れ保ちて而して利の主に合うは、国の宝なり。」(孫子 地形篇)
(合戦の道理としてこちらに十分の勝ち目のあるときは、主君が戦ってはならないと言っても、無理に押し切って戦うのが宜しく、逆に合戦の道理として勝てないときは、主君が是非とも戦えと言っても、戦わないのが宜しい。だから、功名を求めないで、進むべき時に進み、罪に触れることをも恐れないで退くべき時に退いて、ひたすら人民を大切にしたうえで、主君の利益にも合うという将軍は、国の宝である。)
これを字の通りに解釈したら一寸誤解を招くかも知れない。しかしこの字句の中に独断専行の本当の精神がうたわれているように思う。即ち進んで名を求めず退いて罪を避けず、専心上司の意図に合致せんとして已むを得ずとった処置であることを独断専行の条件としている。情勢に応じ、部下の責任において命令外のことをやり、あるいは命令と違った事をやらなければならないことを独断専行という。これを専恣と明確に区別する必要がある。
独断専行の条件: ①情勢が命令を受領した時と全く違っていること、②新しくこの情勢を連絡して新命令を受ける方法がないか、または余裕がない、③既命令を実行したら明らかに命令者の意図に合致しないと思われる、④自分の判断した行為が命令者の意図に合致すること、⑤進んで名を求めず退いて罪を避けざる良心的行為であること、⑥自ら責任負う覚悟が出来ていること、⑦出来る限り速かに上司に報告して了解を得ること
独断専行は必ずやらなければならない。また上官はやれる余地を部下に与えることが必要である。徒らに命令に従うだけで情勢に応じ得なかったら部下としての責任を完全に果し得たことにならぬ。と云って常に命令からはみ出すことを許すわけでもない。歩兵操典の中にも「独断専行は常に服従の意を含有するものなり」と戒めている。
(板谷隆一「命令と服従」『幹校レファレンス』(昭和37年5月)より)