「海軍ではカレーを辛味入り汁掛飯といっていたそうですが…」という質問を受けることがあるが、これは陸軍の話であって、海軍では終戦になってもカレーと呼んでいたという。高森直史氏の語る陸軍料理に関する薀蓄。
日本陸軍が戦争前にまとめた『軍隊調理法』(昭和12年7月26日陸軍省検閲済)という復刻した本(『元祖男の料理復刻軍隊調理法』講談社1982年刊)があるのでそのいくつかを紹介してみよう。
巻頭に「昭和6年陸普第3759號ヲ以テ配布セシ軍隊調理法ヲ改訂セシニ付参考送付ス陸軍省副官寺倉正三」とある。これを見ただけで、陸軍省の副官というのはエラいんだなあ、とか、陸軍と海軍はやはりどこかが違うなあと思ったりする。
陸軍の教科書はじつに合理的で実用的である。煙を出さない野外炊飯は戦国時代から重視されていたが、陸軍はもっと緻密で理論的である。上杉謙信でもその戦術的工夫を知ったら舌を巻いたであろう。「鞭声粛々…」どころではない。「薪で焚く場合は木の皮のほうを下にし、竃の中には常に五、六本在るを適度とす」とか、「生薪を使うときは細く割るか叩き潰して点火すべし」とある。
陸軍料理と海軍料理の特色基本となる献立について詳しく説明するのが陸軍料理を理解する上で必要であるが、紙面の都合で献立だけを羅列してみる。
関東煮、牛肉軟か煮、内臓付け焼き、豚豆煮、雑集(ざった)煮、炒り豆腐、生魚朝鮮焼き、空揚魚団子、カツレツ、コロッケ、鮭馬鈴薯和え、鰊甘露煮、ぬた、鯛のうしお、ふわふわ汁、骨スープ、魚田、鯛麺、野菜早漬け第1~6号、蒸し羊羹、汁粉…
全部で179種もあるので右に取り上げただけをもって陸軍料理は…というのは早計であるが、とりたてて野戦的料理を選んだわけではない。傾向を示す上でピックアップしたにすぎないが、ほかの献立を見ても全般的にいかにも陸軍らしいたくましさというか実戦的なものが多い。地方色が豊かで、身欠きニシンの北海煮とか薩摩汁のように郷土料理も多い。コロッケのように洋食めいたものはいくつかあるものの純西洋料理といったものはほとんどない。カツレツの材料も豚又は鮫、牛とある。鮫カツなど旨そうではないが、鮫肉は腐りにくいからか。カスタードというしゃれたものがあるが病人食になっている。
その点、発刊時期は違うものの料理書を比べると海軍の料理は和洋中混在で多彩をきわめている。その中の西洋料理のいくつかを挙げてみる。
ベジテーブルスープ、フーカデンビーフ、デブルビーフ、シチュードキューカンバ、シャットブリヨン・ヲランダニエール・ビアンネールソース、コンタン、チキンロース、シチュードチキン、ガランデンチキン、スカンブレースエッグス、ベッキングフィッシュ、タピョカプリン…
挙例していくときりがないが、ざっとこういった料理が作り方とともに200種書かれている。それにしても、フランス料理に通じていないとまるでチンプンカンプン。スカンブレースエッグスがスクランブルエッグであると察しがつく程度である。アスパラガスもアスペラガースとかフランス語読みでアスペルジュと表記していた。シチューもご丁寧に英語の過去分詞形にしでstewedとして料理手順と出来上がった姿までわかるような表現である。ベッキングはBakingだなと推測できる。マワシポテートエンドサンピオンは肉料理の付け合せのマッシュポテト&シャンピニオンに違いない。
平成17年入船山記念館の築100周年行事で海軍料理の再現イベントをしたが、その後、広島全日空ホテルと広島プリンスホテルから、海軍料理のフェアをしたいのでと相談があった。個別に来宅した両ホテルの料理長に明治海軍の料理教科書を見せると、どちらも「私が教わった作り方とまったく同じです。明治時代にすでにこういうレシピを採用していた日本海軍はすばらしいですね」と驚嘆し、勉強したいのでと言うので、それぞれに明治海軍の『割烹術参考書』を全部複写して提供した。日本海軍のレシピを一流ホテルのシェフが研究資料にすることは食文化向上のためにも大いに賛成である。
※本稿は、高森直史「海軍グルメの復元」『水交』(平成19年9・10月)の一部を許可を得て転載したものです。