イギリス海軍は世界の海軍の母といわれるほど、海軍の制度や伝統に与えた影響が大きいのだが、そのひとつが階級と階級章である。その成り立ちは小林幸雄著『図説イングランド海軍の歴史』(2007年、原書房)などに詳しいのだが、簡単に説明すると次のようになる。

 イングランド海軍の歴史を遡ると、中世初期頃までは乗組士官としては、Master, Boatswain, Carpenterがあるだけで、そこにCaptainを長とする戦闘要員が乗り組んでいた。Captainは兵士の指揮官で、敵艦に接舷して乗り込んで戦ったり、陸戦隊として戦うのみの「陸者(おかもの)」であり、船の運航を指揮するMasterを指揮する権限はなかった。

 ヘンリーⅦ世(1485年即位)は、イギリス近代海軍の開祖と云われ、小説のホーンブロワーが活躍した時代に当たる。この頃になると、軍艦に大砲(Great Gun)を搭載するようになり、軍艦そのものがShip Killing能力を持つようになり、この点において、それまでの軍艦が、陸戦隊を運ぶSoldier-CarrierからWeapon-Carrierへテイクオフしたといえる。そして、船の運用そのものが戦闘を直接左右することになり、シーマンシップ(運用術)と戦闘術を融合させるための一元指揮の必要性が生まれ、艦における唯一最高の意志決定者としてのCaptainが登場した。

 その後、19世紀初頭のネルソンの時代までの海軍の発展の中で、軍艦の乗組員は、Captain, Lieutenant, Master, Second Master, Midshipman, Boatswain, Gunner, Carpenter, Purser, Surgeon, Chaplain, Cookとなった。このうち、CaptainとLieutenantのみ国王勅任士官(Commissioned Officer)であり、Master, Boatswain, CarpenterはAdmiralty(海軍省)からの請求(Warrant)によりNavy Board(海軍管理本部)が配置する士官(Warrant Officer)で、艦固有のいわば「備品的な」士官(Standing Officer)であった。

 これらの乗組員の分類は、配置(post)であると同時に職務を表したものであり、階級(rank)ではなかった。当時の海軍では、平時になってある配置を離れたら海軍士官としての職も失うこととなり、その身分は不安定なもので、英蘭戦争などでの士官不足は顕著なものがあった。そこで、1668年(第二次英蘭戦争の翌年)、「今次戦争での将官級の顕著なる功績に報いんがため、平時その職を離れている者にも前職の俸給に応じた額の恩給を給する」とする半給制度(Half Pay)が始まった。

 この制度は、1693年、主要士官のほとんどが適用を受けることになったが、早くも1700年には財政逼迫のため対象範囲を制限せざるを得なくなった。その範囲は、Captainは50人、Lieutenantは100人、Masterは30人とされたことから、それまでアルファベット順だった名簿とは異なる半給を支給されるに相応しい順に並べた名簿の必要性が生まれ、1718年Admiraltyが名簿を作成した。ここにおいて、士官職の格付け、同一配置における先任序列の概念が生まれ、1806年「Commission officer及びWarrant officerに関しては、各々相当の階級を以って任用すべし」との評議院令が出され階級制度が確立することになった。

 それぞれの階級名称の起源を見てみると「Captain」は、ラテン-フランス系のCaputがCapitanus、Capitaineと変化し、Captainになった。「Commander」は、第一次英蘭戦争で士官が払底した際、商船士官を雇い入れたものの、危険を回避し戦闘にならなかったため批判が起こり、やはり海軍士官が必要ということになり、配置としてのCommander and Masterが生まれ、これがいつかMaster and Commanderと変化、1674年正規の配置となり、1794年Commanderとして定着した。

 「Lieutenant Commander」は、大型艦では古参のFirst Lieutenantが副長格であったところ、「新参者」のCommanderが取って代わる形となったため、First Lieutenantへの「慰撫策」として俸給加俸(1830-1888)がなされた。これは、やがて定期的加俸(Lieutenant勤務8年以上先任序列70番以内の者)となり、加俸対象者には1/4インチの金筋をつけることが許可され、1914年に至り正規の階級となったものである。

 「Lieutenant」は、フランス語のLieu(代わりに)とtenant(supporter)が合体してCaptainのSupporterという意味で出来た。さらに「Sub- Lieutenant」は、はじめから階級を意味する呼称であったが、19世紀までは士官の任用ルートがMidshipmanを主流としながらも複雑化していたところ、Master’s Mate(航海士)がCommission Officerへの道を開かれた1861年に正規の階級とされた。

 制服については、それまで自前であったものが、1748年はじめて制定され、1860年には兵科士官の袖に渦巻きの飾りをつけることとされた。1863年に至りCaptain、Commander、Lieutenant、Sub-Lieutenantはストライプをそれぞれ4~1本を巻くこととされた。なお、Lieutenant CommanderはあくまでLieutenantと同じ扱いで2本であったが、1974年に2本半を巻くこととされ、今日に至っている。