伊藤正徳は『大海軍を想う』で、日露戦争は二隻の外国軍艦の買収競争からはじまったといっても差し支えないほどだとしている。その二隻の軍艦とは、イタリア、ゼノアの造船所で竣工に近づきつつあったアルゼンチンの重巡「リバタビア」と「モレノ」。前者は10インチ砲一門と8インチ砲二門、後者は8インチ砲四門を装備し、仰角が大きく、射程世界一という良艦であった。

 これより先、日本は戦艦「鹿島」「香取」を主体とする海軍拡張案を成立させたが、ロシアの極東進出がますます露骨となり、両戦艦の建造が間に合わないとみるや、イギリスで建造中であったチリの戦艦「コンスティチューション」と「リバーダット」の購入を考えたが、時すでに遅く、チリはロシアの巧みな商談に乗って売却寸前に迫っていることが判明した。これを知った同盟国イギリスは直ちに外交手腕をふるって即金で二戦艦を自国で買い取ってしまった。のちの英戦艦「アジャックス」等である。同時にイタリアで建造中の「モレノ」級重巡二隻の即刻購入を日本に示唆応援したのであった。同盟国のありがたみである。

 日本はすぐに交渉を始めた。ロシアがそれを嗅ぎつけてきた時は一日遅く、それでも買収価格その他で競り合ったが及ばす、明治36年12月30日という土壇場にようやく日本の手に落ち「日進」、「春日」となった。この二隻をどうやって日本まで回航してきたか、何故横須賀入港時に七カ国の乗組員が乗っていたのか等の逸話、佳話は伊藤書に譲る。

 この二隻の主砲の射程は、日露の主力艦のいずれよりも大きく、重巡としての価値はもちろん、主力艦の代用としても立派に役立つ軍艦であり、敵砲台や艦艇をアウトレンジして砲撃し、存分に活躍した。この二隻は、「「日進」「春日」航行の図」として、昭和36年に飯塚玲児画伯により描かれ、記念艦「三笠」に飾られていたが、飯塚画伯から日伊親善に役立てたらということでイタリア海軍へ贈呈されることになった。昭和49年に遠洋航海部隊がナポリに入港した際、斉藤国二朗司令官がローマにおいてイタリア海軍参謀総長デ・ジオルジ海軍大将に贈られ、この返礼としてイタリア海軍兵学校の練習帆船「アメリゴ・ベスプッチィ」航行の図が海上自衛隊に贈られた。現在、赤レンガ応接室に掛かっている「アメリゴ・ベスプッチィ」航行の図はこの絵である。