世界の海に展開するアメリカ海軍はどのようにして誕生したか。その黎明期の話。
アメリカ独立戦争の時、それまで別個の存在だった13の植民地が協議のための大陸会議(Continental Congress)を開き、団結してイギリス本国と対抗するようになった。すでにロードアイランド植民地には、イギリス軍艦との間で発生するトラブルに対抗するため、小艦2隻からなる「ロードアイランド海軍」があったが、強力なイギリス海軍に太刀打ちできないことは分かりきっていた。そこで、ロードアイランド植民地の代議員達は大陸会議で他の植民地からの協力を要請した。堀元美の語る「アメリカ海軍」創設の経緯。
大陸会議では、ボストンに駐留するイギリス軍への補給を断ち、できることならその弾薬を横取りするため海上でイギリス側の補給船を捕らえることこそ最良の手段と考え、最も切実な問題として海軍力の必要性を認識していた。そこで、1775年11月に海軍設立七人委員会ができ、手頃な船舶を買い入れ武装を施す仕事に着手した。12月3日には、フィラデルフィア港において、司令官ホプキンスの指揮する始めてのアメリカ艦隊が8隻の編成で勢揃いした。
旗艦「アルフレッド」(9ポンド砲24門)の先任将校は、後の名将ジョン・ポール・ジョーンズであって、最初のアメリカ軍艦旗は彼の手によって掲揚されたと海軍年表には記されている。ただし、掲げられた軍艦旗が、13植民地を表す赤7本、白6本のだんだらで、合計13本の横線の地の肩部にイギリスのユニオン・ジャックを嵌め込んだグランド・ユニオン旗だったか、同じ下地にガラガラ蛇を描き「Don’t tread on me.(俺を踏んづけるな)」という標語を記したネイビー・ジャックだったか、両説がある。
この1775年に誕生した「アメリカ海軍」は、アメリカ史の上では「コンチネンタル・ネイビー(Continental Navy、大陸海軍)」と呼ばれることが多い。大陸会議と同じく、イギリス本国に対立するアメリカ植民地の連合体が明確な実体となっておらず、名のつけようがないため、自然にこういう呼び方になったものと思われるが、今からみるといささか面白い名のように思われる。
ちなみに、大西洋岸で建設される大陸海軍とは別に、陸軍司令官であったワシントンは、海上でイギリスの補給船を襲い武器弾薬を奪取するため、マサチューセッツで4隻のスクナーを庸船していた。また、奥地のハドソン河谷においては、陸将アーノルドがイギリス軍の南下に備えるため小型船15隻ほどからなる湖水海軍を建設していた。アメリカ海軍の黎明期の話である。
※本稿は、堀元美著『帆船時代のアメリカ 上』(1982年、原書房)の一部を許可を得て転載したものです。