日本人には、その行動なり思考において前動続行的になり易い精神的風土と志向があるらしい。
遠くは長篠の役において、武田軍は騎兵集団を中核とする兵術思想を「祖法」とし、武田信玄以来の華々しい歴戦経験の成果に自信を持ち、独善主義や教条主義が浸透していると見た織田・徳川連合軍は「武田軍はこれまでと同じ作戦要領を踏襲してくるに違いない」と予測し、勝利した。
織田信長は桶狭間において奇襲作戦に成功したが、その後一度もこの成功体験を自己模倣しなかった。信長は常に「同じ成功を望まない」ことを信条とし、兵術思想についても部隊運用についても前動続行を強く自戒したといわれる。
日露戦争における旅順総攻撃では、累次の大損害を出しているにもかかわらず「日本軍は繰り返し同じ方法でやって来る」とロシア側の資料にもあるとおり、「前動続行」的な作戦指導は攻撃軍の精神的動脈硬化を象徴しているかのようであったとする分析がある。
下って第二次大戦においては、ニミッツ元帥が戦後「日本海軍の戦略的な考え方には一定した型があった」と指摘しているとおり、前動続行的な精神的風土が抜けきっていないことを示唆している。また、第二次大戦における日本軍の戦術を研究した英米の戦術家のほとんどに共通した驚きは、四年近くも戦闘を経験しながら、その作戦要領にほとんど変革のあとがみられなかったことだという。
ミッドウェー作戦に関しては当初、大本営海軍部は聯合艦隊のミッドウェー作戦案に反対した。その理由の一つは「作戦はもとより不可能ではないがハワイ奇襲と同一方向から、しかも同じような要領の作戦を繰り返すことは古来兵法の戒しむるところ」というもの、つまり前動続行に対する危惧であったが、結局大本営は聯合艦隊の押しに屈し、あの敗北を招いた。ニミッツ元帥も「ミッドウェー作戦のような大作戦の計画に当たって、優勢な日本海軍は奇襲を必要としなかったにもかかわらず、ハワイ作戦と同一の思考型式を踏襲し奇襲に依存するという前動続行の錯誤を犯し、逆に劣勢な米軍の奇襲に敗退した」と指摘している。
このような戦例でもわかるように、「前動続行」とは現実を固定化してせいぜい過去の延長線上にのみ現在をみたり、今日までの職業的経験や過去の知恵の単なる投影だけにその行動及び思考の軌跡を求める惰性を露呈したものともいえる。
高木惣吉元少将の著書に書いてあることだが、海軍大学校の学生時代に、「海軍は「攻撃は最良の防御」ということをモットーにして、兵装と高速に艦艇の容積を惜しまず使い、居住性と防御を犠牲にして七ツ道具を積んでいますが、攻守は楯の両面で、実際は区別すべきでないと考える。英海軍もジュットランド海戦後、その艤装方針が変わったと聞きます。居住性と防御力について反省の余地はありませんか」と質問したら、某戦略教官の表情が急にけわしくなって、「海戦要務令をもう一度読み直せ、君の議論は趙括(ちょうかつ)の兵法(兵法を丸暗記しただけの机上の論)だ!」と一喝されてしまったという。
一方、小沢治三郎大佐が海軍大学校教官時代に、「諸君は本校在学中は、海戦要務令なんか一切読むな。こんな書物に捉われず、独創的な戦術を開発しろ」と学生をたしなめたという。「海戦要務令」の墨守は、つまり前動続行の姿勢である。
たしか昭和30年頃だったと思うが、海上自衛隊演習の事後研究会の折、ある幕僚が研究項目に対する所見の結びに、「来年度の演習の所見を述べよといわれれば、今日只今でも、本席上で陳述できる」と言ったところ、万場爆笑の渦に巻き込まれたが、筆者はその際、彼の所見は、海上自衛隊演習の前動続行的な姿勢そのものに対する深刻な懸念を表明したものと受けとめ、今でも脳裡に深く刻み込まれている。
第二次大戦まで、日本海軍の演習といえば、明けても暮れても邀撃漸減作戦を前提とする艦隊決戦であり、当時水雷戦隊に勤務することが多かった私は敵の戦艦戦隊に肉迫する血湧き肉躍る駆逐隊の攻撃運動に陶酔し、「よくぞ海軍士官になったものだ」と単純に考えたものだったが、悲しい哉、術科の演練にのみ心を砕き、前動続行的な戦略構想などに疑念を抱くような識見などは全然持ち合わせなかった。
毎年秋に実施されている海上自衛隊の演習については、退職後はなんら関知していないが、関係者に会って聞いてみると、もちろん機密保持上の配慮もあってのことと思うが、「毎年毎年、余り変わりばえしませんね」という所見が返ってくる。万一、演習に限らず、海上自衛隊の行動なり思考に前動続行的な傾向が存在するとしたら海上自衛隊の成長発展は期待できない。なんとなれば、卓抜な構想を持ちバイタリティー溢れる有能の士や教条主義を排する気骨のある人物が前動続行の易きにつこうとする集団風土の中で野ざらしにされるようなことがあるとしたら、海上自衛隊における作戦指導の面におけるマンネリズムを打破すべき創造的精神が生まれる筈がないからである。
日本人は、源平の時代から、善か悪か、白か黒かと物事を簡単に割切るくせがあり、とかく物事を論理的によく考えることをせず、既成の固定観念を物差しにし、この物差しをあてがうだけで結論を出す傾向が強い。前動続行の前提であるこの固定観念なり先入観の正否について疑問を持たず、それに頼ることは、論理的思考を阻害し、一定の限界内で思考を停止してしまういわば知的怠惰であることに気付かないのである。
私は、海上自衛隊には、戦後米国海軍を師匠として教育された結果、「考える」ということを忘れ、無意識のうちに模倣を肯定する-前動続行-という姿勢の定着がみられ、戦術や術科でも米海軍は既に模範解答を持っているのではないかと常に先入観が働き、知的怠惰に陥っていた風土が一時期あったように思う。
この前動続行の風土は、先に述べた武田軍ではないが、部内一般に行動の指針を独善的に過去にのみ求め、また過去の思考型式にのみ執着する独善的な感覚と一枚岩的教条主義を招来するおそれがあり、これらの風潮は組織を動脈硬化させ、創造力やバイタリティーの芽を摘みとることになることを銘記する必要がある。我々は、無批判に先人の跡を追わず、自分の頭で考え、正しいと思うことに従って行動することが独善主義や教条主義から逃れる道であることを忘れてはならないと思う。
※本稿は、高橋敏「前動続行について」『波涛』(昭和51年5月)の一部を許可を得て転載したものです。