北村謙一元海将(海兵64期)は、初・中級幹部を対象とした『波涛』誌上講義「海軍戦略漫談」の連載開始にあたり次のようなことを語っている。
私がマハンの『海軍戦略』を初めて読んだのは、兵学校第2学年の夏休みであった。最初の3、4章までは読めたが、あと根気が続かなかった。その後休暇の度に努力したがやはり駄目だった。少・中尉のころも結果はいつも同じで、そのうち戦争が始まり、私が再びその本を手にしたのは昭和30年幹部学校が開設され、その教官に任命されてからであった。ところがそのときは数日で容易に読み終わることができた。海軍戦略を系統立てて勉強したわけでもないので、戦争を実地に体験したことが最もよい教師になってくれたのだろう。
退職後幹部学校で古典海軍戦略論について講話することになり、改めて精読してみると、それまで見過ごしていたことや今更のように思い当たる点など幾つも発見した。その後も講話の度に原稿を修正しながら今日に至っている。それを必要とした在職中は充分に理解できずにいて、必要でなくなったあとで気付くというのは誠に遺憾な話であるが、世の中のことは得てしてそんなものかもしれない。
それだからこそ、同じような過ちを何度も犯しては「歴史は繰り返す」等と後世の人から言われるのであろう。それは裏返せば、歴史の研究が我々にとっていかに大切であるかを雄弁に物語っている訳でもある。
マハンの『海軍戦略』は若き日の私にとっては必ずしも理解の容易なものではなかった。しかし、その中の幾つかの言葉は、初めてそれを読んだ時から頭の中にこびりついていて未だに忘れられない。
例えば「海軍戦略の原則の応用法は改良されるが原則そのものは変わらない」、「海軍戦略でもっとも重要な集中とは決定的な点に兵力の優勢を維持することである」、「目的を単一にすることは大成功の秘訣であるというナポレオンの言は、一つの目的に全精神を集中することの重要性を説いたものである」、「戦場において最も幸運なインスピレーション-フランス人の所謂「一瞥判断」-は、しばしば単なる回想に過ぎないことがある」等がそれである。それらは単に私の脳裏に残っていただけでなく、私がものを考えたり判断するとき有力な指針になってくれた。また、私の頭の中で球根のような働きをして、そこから色々な考えの芽を出し花を咲かせてくれたことも事実である。
この小稿の全部が全部を読んでくれなくても、あるいは読んでもすぐにはよく理解してもらえなくとも、もし幾つかの言葉のはしでも頭のどこかに引っかかっていてくれたならば、そこから芽が出て花が開くこともあるかもしれない。私自身の体験ではそれは大いにありうることだ。いずれにせよ兵術の基本についての勉強は、なるべく早い年代の時から始めた方が良い。
そして連載終了に際しての言葉は次のようなものである。
終わりに臨み特に強調しておきたいことは、それを見て「某々がこう言ったから」としてそれを鵜呑みにすることなく「某々はこう言ったが」と一応反問し、自分で考えに考え、なお更に考えを重ねた上で「自分もそう思う」とか「自分はこう思う」と自分自身のしっかりした考えを持ってもらいたいことである。
※本稿は、北村謙一「誌上講義-海軍戦略漫談(1)(6)日米の古典を尋ねて」『波涛』(昭和52年3月、53年1月)の一部を許可を得て転載したものです。