高木惣吉少将(海兵43期)は、「伝統とは伝承ではなく、常に先人を乗り越えて創造することの連続でなければならない」と語る。(向洋荘談話「伝統は創造の連続(48.9.18)」『髙木惣吉少将講話集』(1979年))より。
「来てみれば低くもあるや富士の山 釈迦や孔子もかくやあるらん」という歌があります。まことに世の中は、「目明き千人盲千人」といいますが、実際は盲が絶対多数のようであります。
例えば、リッデル・ハートの英国陸軍改造案は反対に遭い英国においては実現いたしませんでしたが、ドイツはこれを活用して新陸軍を建設しました。これなども、いかに世の中には盲が多いかということを証明しているように思います。
また、「われわれは歴史から何物も学ばないことを歴史から学ぶ」という有名なハイネの言葉がありますが、英国参謀総長であったアラン・ブルック元帥も「われわれは、一つの戦争の教訓は次の戦争には活用しない」とも述べております。
芭蕉の言葉に、「古人のあとを求めず、古人の求めたるところを求めよ」というのがあります。昭和15年までの帝国海軍の基本的な迎撃作戦計画は、山本権兵衛伯、東郷元帥等の古人の求めたるところを求めたのではなく、古人のあとを求めたのであって、日露戦争の遺物の伝承にすぎなかったのではないでしょうか。山本権兵衛伯、東郷元帥の求めたところは、「祖国を不敗の地位に置く」ことであったと思われます。
昭和の海軍は、果して山本伯や東郷元帥等の先覚者の求めたところ、すなわちその精神を受け継いだでありましょうか。伝統と伝承とは違うものであります。形式等を伝えるのは伝統ではなく、伝承であります。人間の考え出したものはいかなる法則、理論といえども時世とともに変化するものであり、万物流転、諸行無常が天の摂理であります。東郷元師の教訓は精神的なものでありまして、百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に勝てないのであります。
私は海軍に勤務中合計7年余り各課程の教育を受けましたが、海軍大学校においても国家防衛の大計というものは聞けませんでした。マハン曰く、クラウゼヴィッツ日く等々の言葉の羅列を教わりましたが、現在及び将来の問題はどうであるとか、私ならどうするという主張や教官の悩み、どう考えているか等は聞かれませんでした。フランス駐在時、戦略関係図書を読んでやっと分って来たような気がしたのであります。
わが海軍は研究が足らず、近代戦略を学ばなかったと言われても致し方がありません。米海軍もロシア海軍と同じように、これを東郷式戦法でまかなえると思っていたのではないでしょうか。海軍にも山本五十六大将のように「航空機の進歩により海戦の様相は変った」と看破した先覚者もありましたが、海軍全般としては艦隊決戦と大艦巨砲主義の動脈硬化にかかっていたといえましょう。
伝統とは伝承ではなく、常に先人を乗り越えて創造することの連続でなければなりません。新しい創造は過去のすぐれた魂が中核でなければなりません。
負けたとはいえ、日本海軍の諸先輩、提督が英米の提督たちに劣っていたとは思われません。しかし、外国に比べ日本の提督でクラシックに属するような自伝を残した人はありません。これでは後輩の思索を助けることができないし極めて残念なことであります。
旧海軍では教範等の暗記ばかりに狂奔して、先人や外人の戦術を乗り越えて創造したものは少なかったと言えましよう。千里の馬はいつでもいるけれども、これを見出す伯楽は何時もいるとは限りません。傑出した人物は百年か二百年に一人出るだけであって、真に大人物は天・地・人が一致して初めて現われるものなのであります。