吉田満「戦艦大和ノ最期」の中に幾つか極めて印象的な場面が出てくるが、土橋久男氏(兵科4期予備学生)が「「松井中尉の場合」考」として「事実・虚構・真実」のあいだの微妙な相関関係を語っている。

 ひとつは、「救助艇事件」。戦闘終了後の遭難者救助に当たっていた駆逐艦「初霜」の救助艇が、救助継続か人員過剰による救助艇自沈の二者択一の緊急場面で軍刀を使って舷側にすがりつく遭難者を追い払ったという記述。吉田氏は、救助艇にあった松井中尉(海兵71期)の訂正要求にも拘わらず、その論点をすり替えて考えさせて欲しいと言ったり、その後再び昭和49年の「鎮魂戦艦大和」版に「執筆の意図にてらして(略)事実の検証には努力を怠らなかったつもりである」とあとがきしたりしたが、昭和54年に他界した。

 松井氏の同期の寺部氏は「吉田氏はあのようなことがあり得るのが現代の戦争の特質であるといい(略)彼の論理を構成する象徴的な事件であったが故に(略)削除の要求に応じなかったのであろう」と語っている。また、英訳にあたったマイニア教授は「この本は歴史ではなく、吉田自身の経験と反省の回顧録」であるとしている。

 いまひとつ、「冬月」が「霞」の乗員を移乗させ、魚雷で撃沈する場面があるが、吉田氏は「残留者ヲ目撃シツツモ一斉ニ横木ヲ叩キ落トス」としている。しかし、当時「冬月」の舷側で一部始終を見ていた土橋氏は、「「冬月」は右舷を「霞」に横付けし、「霞」乗組員が整斉粛々として横木をわたり移乗した」と語っている。

 吉田氏の著作には発表当初から占領軍の検閲や毀誉褒貶があったという。吉田氏は勝海舟の「行蔵(出処進退のこと)は我に存す。毀誉は他人の主張、我に分からず我に関せずと存候」の心境だったのかもしれないとも土橋氏は語っている。「歴史において「事実」はひとつしかなく、「真実」は過去、現在、未来の人類の頭数だけある」という言葉があるが、戦争小説、戦記物に接する際には心したいものである。

※本稿は、土橋久男「「松井中尉の場合」考」『水交』(平成11年5月)の一部を許可を得て転載したものです。