イギリスから1個ずつ油紙に二重包装して軍艦で神戸へ運び、神戸から小船に積み替えて江田島へ持ち込まれたとの説がある。当時、レンガ1個の値段は約20銭(米3升分に相当、工事労働者の賃金6~13銭/日)と大変貴重なものであったという。

 しかし、昭和59年に、呉市建築課長であった松下宏氏が調査したところ、このレンガは広島県賀茂郡三津村(現在の東広島市安芸津町三津)で生産されたものであることが判明した。当時、西日本各地で生産されたレンガは、そのほとんどが一旦神戸に集積され、神戸から全国へ流通していた。神戸と言えば、外国との貿易の一大拠点であり、当時の日本は外国崇拝の時代であった。海軍は、これを利用し、国内産のレンガをイギリス製とすることで威厳を示そうとしたのかもしれない。

 レンガそのものは、極めて仕上げが優れたもので、通常のものが素焼きで表面がざらざらしているが、候補生学校のレンガは、素焼きの前に各面をコテによって仕上げてあるため、焼きあがりも表面が滑らかになっている。また、レンガを焼く温度も通常1,000度以上であるが、このレンガは700度あたりの低温で焼かれており、色合いもオレンジに近い淡い赤色となっている。大きさも、古いレンガほど、西洋人の手の寸法に合わせて作られていたという説があるように、現在のものより一回り大きいものとなっている。