なぜ艦橋のことを「ブリッジ」と呼ぶようになったのか?

 蒸気機関が実用化され、帆船の時代から外車船の登場となった。外車船は、船体中央に巨大な機関室と外車が必要になり、船尾の舵輪の位置からは進行方向の海面はおろか船首楼さえ見えなくなってしまう。そこで左右の外車カバーの上が格好の見張り場所となり、その左右の外車カバーに連絡通路、「橋」が架けられ左右の交通が楽になった。やがてその「橋」の上に、船尾の舵輪の前にあるのと同じようなコンパスが設けられ、航海士はそこから操舵手に号令するようになった。操舵号令の伝達には、肉声のほか、号笛が用いられたり、後には伝声管、さらにはテレグラフなどが使われた。舵輪がブリッジに移されたのは帆走の必要がなくなるずっと後になってからのことである。

 汽船の発達に伴う操舵機の発明がブリッジと操舵室を結合させ、帆の終末が船尾舵輪の無用を裏付けた。ブリッジは出現以来、1世紀余りを経て、機関操縦の機能まで集中されたが、見張り台としての第一義的機能は今もって変わっていない。