パワーバランスの変化と相互誤認: 中国の国防費の急激な伸びにもかかわらず、日本の防衛予算はほぼ横ばいである。また、米国においても国防費削減圧力が根強い。このような状況は、挑戦国に自信の高まりと現状維持国の相対的衰退を認識させ、機会主義的戦争を引き起こさせる誘因となりかねず、フォークランド紛争と類似する。

 更には、長年にわたるアルゼンチンのフォークランド返還要求に対して、イギリスの対応は、アルゼンチンに苛立ちと誤解を与えており、これまでの尖閣諸島をめぐる日中間の関係と重ねてみることができよう。

 防衛コミットメント(意志と能力): 当時の英国とは異なり、日本政府は、「防衛計画の大綱」において、南西シフトを明確に打ち出し、その意図を事実上明らかにしている他、尖閣諸島の国有化に踏み切るなど、尖閣諸島の国有化に踏み切るなど、尖閣諸島に対する防衛コミットメント(=「意志」)を明確にしている。

 ただし、相手がコミットメントを可能とする「能力」がないと判断した場合には、抑止は失敗する。故に、実態あるプレゼンスを伴う防衛能力の明示が求められる。

同盟国の防衛コミットメント: アルゼンチンのフォークランド侵攻は、当初、米国が中立を宣言し、その防衛コミットメントが明確化されなかった。他方、米国は尖閣諸島の領有権問題については中立を維持しているものの、「(尖閣諸島は)日本の施政下にあり、日米安全保障条約第5条が適用される」ことを明言している。

 また、今日の戦略環境における尖閣諸島の地政学的重要性と、北大西洋を主正面としていた1982年時におけるフォークランド諸島の地政学的重要性では、大きな差があるとも言える。一方、米国の防衛コミットメントの可能性を低減させる恐れのある、以下のような要因も複数存在する。①日米間のインタレスト・ギヤップ、➁米中相互依存の深化、③局地紛争のエスカレーションのおそれ、④安保条約第5条の発動要件

 ナショナリズムと合理的判断の限界: 上述の「意志」と「能力」に加えて、相手に合理的な判断力がなければ抑止は機能しない。フォークランド紛争においてアルゼンチンは、必ずしも合理的とは言えない時期に開戦を決断している。したがって、現状維持国は挑戦国がいかなる合理性を行動の基準としているかを見極める必要がある。

 英国がアルゼンチンのナショナリズムを刺激する対象であったことは、日本が中国のナショナリズムの矛先としてしばしば矢面に立たされる状況と重なる。中国においても、反日ナショナリズムが、解放軍等の対日強硬論者を勢いづけ、合理的判断に反する形で、(軍事)指導部が強硬的行動を一層余儀なくされるおそれも否定できない。

地理的環境、軍事能力、情報 (略:下表のとおり)

フォークランド紛争と尖閣問題の比較

 フォークランド尖 閣
総面積約12000㎢約6.3㎢
本国からの距離約13000㎞約170㎞(石垣島)約410㎞(沖 縄)
ア/中国からの距離約1600㎞約310㎞
住 民英国人約1800名(1982年時)な し
英/日の駐留軍規模約80名(1982年時)な し
紛争の原因①英の防衛コミットメント低下とアが誤認 ②アの国内ナショナリズムが、合理的判断を妨げるまでに高揚 ③外交不調にもかかわらず、英が最低限の抑止力を配備することを怠ったこと ④英ア、英米間のインタレスト・ギャップ①中国は日本の国際的地位の相対的低下を認識。 ②愛国教育による反日運動が高揚。 ③日本は尖閣諸島に日本人も含め立ち入らせないとの現状維持政策を継続。 ④日米間のインタレスト・ギャップはある程度認められるが、日中間はない。
パワーバランスの 変化と相互誤認・英国は海外領土放棄や海軍縮小を志向。 ・アは軍事力強化、英の防衛コミットメント低下を誤認、機会主義的戦争を実施。・中国が国防費を2ケタ増額、日本の防衛予算は横ばい、米国も国防費削減圧力が強い。 ・中国がパワーバランスの変化を誤認する可能性
防衛コミットメント(意思と能力)・海外領土に対する関心の低下、南極からの巡視船の引き上げ等、英のフォークランドに対する防衛コミットメントは“意思”・“能力”共に曖昧に。・南西シフトの明確化、尖閣諸島の国有化など、防衛コミットメントの“意思”は明確。 ・.相手の抑止には、コミットメントを可能とする実態ある“能力”の整備・維持が不可欠。
同盟国の防衛 コミットメント・当初、米国が中立を置言したことによって、アルゼンチンは米国のコミットメントが弱いものと誤認した可能性あり・5条の適用を明言するも、①日米国益ギャップ、②米中相互依存、③エスカレーションおそれ、④5条発動要件等、米国のコミットメント抑制要因
ナショナリズムと 合理判断の限界・アは国内ナショナリズムの高揚を制御できず、合理的ではないタイミングでの開戦を余儀なくされた可能性・中国が、反日運動を利用している動きと合致 ・反日ナショナリズムにより指導部が強硬的行動を余儀なくされる可能性
地理的環境、 軍事能力、情報①12000㎢に及ぶ面積で空海戦のみならず比較的大規模な地上戦が生起 ②本土からの距離、空軍力ではアに優位 海軍力の優越で周辺海域は英が支配 ③開戦前、英はアの侵攻を過小評価①6.3㎢の面積で地上部隊の長期維持は困難。海空軍がより重要。(小さな部隊配備は抑止価値あり) ②接近拒否能力として潜水艦等が重要 ③オールソース・アナリシスによる批判的かつ適宜な報告評価が重要
米国の態度・領有権問題には中立 ・軍事衝突発生後、約1ヶ月は両国の仲介外交を行うなど中立維持 ・1ヶ月後より、英に対し、各種情報提供・補給等の支援実施・領有権問題には中立 ・「日本の施政下、5条が適用される」ことを明言。 ・(ただし、「武力攻撃」の認定がいかなる段階で行われるかは不明)