アメリカ海軍で最も尊敬されている独立戦争の英雄ジョン・ポール・ジョーンズは、当初イギリス海軍に入っていたが、西インド諸島に航海中にちょっとした事件が起こって、「大陸海軍」が編成されて間もないアメリカに渡り、1776年には「プロビデンス」の艦長となりイギリス艦船16隻を捕獲するなど活躍した。

 ジョーンズは老朽小型艦「レンジャー」の艦長を任命され、アメリカ独立を支持するフランスへの回航を命ぜられる。1777年11月1日、アメリカ軍艦として制定されたばかりの13の星のついた星条旗を掲げてポーツマスを出港した。翌年、フランスのギブロン湾に到着した際には、錨泊していたフランス艦隊が9発の礼砲をなし、アメリカ合衆国に対する承認と敬意を表してくれた。

 ジョーンズは、イギリス海域に出撃、彼らの町を攻撃し船を焼いて、イギリス人がアメリカで行なった暴虐に対し存分に復讐した。そして、イギリスの名将の名をもつ軍艦「ドレーク」と会戦し降伏させたことで、ジョーンズの勇名は一躍有名となった。ところが、以前にセント・メアリ島の襲撃時に伯爵家の銀食器を押収したことが不当行為とされ、ジョーンズは「レンジャー」を降り、パリでブラブラすることになる。

 困ったジョーンズは、国王ルイ14世に頼み込み、使用に耐えないといわれた位のボロ船一隻を貰い受ける。できる限りの修理、改造を施し、博物館行きのような重砲まで据付け、乗組員をかき集め「ボナム・リチャード(Bon-homme Richard)」と名付けた。ジョーンズは、再度他のフランスの軍艦とともにイギリス海域に向かう。

 1878年9月23日、イギリス東岸で2隻のイギリス軍艦に護衛された商船団を発見、ジョーンズはイギリス最新の50門砲フリゲイト「セラピス(Serapis)」に立ち向かい、例の大砲を斉射したところ、3門中2門が爆発、砲員は即死、甲板に大穴があくという始末であった。それでも巧みな操艦で「セラピス」に接舷し、両艦の砲戦となった。「ボナム・リチャード」は、火災が起こり浸水も激しかったが、捕虜を使って排水させながらどうにか浮力を維持したものの火薬庫にも浸水して射撃もできなくなった時、「セラピス」の艦長がジョーンズに向かって叫んだ。

 「どうだ!降伏するか?」ジョーンズは、言下にアメリカ海軍の標語となった有名な一言をもって答えた。「俺はまだ戦いを始めちゃあいないんだ!(I have not yet begun to fight!)」

 イギリス艦は斬り込み隊を繰り出し、小銃、手投げ弾、カットラス(軍刀)による接舷白兵戦となったが、最後はイギリス艦の甲板を一掃しジョーンズは「セラピス」を捕獲したものの、「ボナム・リチャード」は翌日ついに沈没した。

 このような奮戦のおかげで、8年にわたる独立戦争の間に「大陸海軍」所属艦船60隻は、敵艦船200隻ほどを捕獲するという戦果を挙げた。しかし、独立したばかりの合衆国政府が金のかかる艦船を維持してゆくことは大きな困難を伴い、1785年までに全艦艇が処分され「大陸海軍」はあっけなく消滅した。

 多くの艦長たちは再び商船に乗って海上に出、水兵たちも商船や漁船に戻った。ジョン・ポール・ジョーンズはアメリカを去ってロシア海軍に入った。そして、それからの10年間、アメリカ合衆国には海軍というものは存在しなかったのである。 

※本稿は、堀元美著『帆船時代のアメリカ 上』(1982年、原書房)の一部を転載したものです。