日本は、近代になって軍艦も制度も兵術思想もすべて丸ごとイギリスなどから輸入して海軍というものを建設した。そこからスタートした先人たちはみごとな日本の海軍を作り上げたが、太平洋戦争に敗れて国土を灰燼にし、心血を注いだ帝国海軍を73年あまりで消滅させてしまった。

 戦後、日本は「軽武装路線」で米国との同盟を選択し「西側の一員」として冷戦を戦った。ソ連の封じ込めには米海軍を中心とする西側海軍が大きな役割を果たし、米ソの軍拡競争は遂にソ連の国家経済を破綻に追い込む。冷戦が終結してソ連海軍が崩壊すると、西側諸国は「平和の配当」とばかり軍備の縮小を急いだ。世界の海上貿易は拡大し続けたが、海軍が主役となるような大きな国際紛争もなかったため、シーパワーの重要性も低下したかに思われた。

 しかし、中国の台頭と急速な海洋進出を受け、米中の大国間競争が激化すると、シーパワーは再び大国の覇権争いの主役となった。「シーパワーの時代」が再来したのだ。

 米国の国力が低下するなか、中国が台頭しロシアが復活した。北朝鮮の脅威も相変わらずだ。このような国々に囲まれた日本は、日米豪印四ヵ国の「クアッド」やNATO諸国と連携を強めて「自由で開かれたインド太平洋」を目指している。

 海上自衛隊は創設から70年を超えたが、平和を保ちつつ帝国海軍の歴史を超えることができるだろうか。日本の進路を誤らないためにシーパワー500年の歴史に学ぶことがあるのかどうか、大航海時代以来の海上覇権の移り変わりを辿りながら、それを考えるのが本ブログの目的である。

 人やモノ、金が国境を越えて行き来するグローバリゼーションにより、世界経済は一体化し国境の意味は薄れ、「地理」は克服されたかのようにも見えた。

 しかし、戦争やパンデミックといった国際的な危機が起こると、グローバリゼーションの脆弱さがあらわになる。今回のパンデミックでも、蔓延を恐れた国々は一斉に国境を閉ざし、海外にいる自国民を競って帰国させた。

 それまで当たり前だった国際協調の流れにも変化が生じた。一部の国では食料輸出の規制を行ったため、G20が保護主義に懸念を表明する事態となった。世界中で起きた「マスク争奪戦」など医療物資の囲い込みの動きもあった。

 また、今回のパンデミックでは需要の急減から原油はダブついたが、国際的危機に際してはエネルギーの確保もし烈になるのが普通だ。効率化のための国をまたいだ製造業のサプライチェーン(部品供給網)は混乱し、金融市場も大きな痛手をこうむった。航空輸送は激減し世界の航空会社は破綻の危機にさらされた。世界各地で起きた感染者を乗せたクルーズ船の接岸拒否などは、海上輸送にも大きなリスクがあることを思い起こさせた。

 このように世界がウイルスとの戦いに明け暮れていた時期にも、中国の「軍事挑発」は活発で、ロシアはウクライナに侵攻さえした。パンデミック下で見られた大国の行動は、冷戦終結後30年を経てもなお不安定で不確実な軍事情勢を浮き彫りにしている。

 戦争やパンデミックのような国際的危機が起こり、人やモノの流れが滞ると最終的に頼りになるのは自国内で完結する経済ということになり、否が応でも自国の置かれた生存条件、すなわち国境線で区切られた領域、資源、人口などを踏まえて行動せざるを得なくなる。

 国際的危機に際しては、国家の行動はグローバリゼーションの「行き過ぎた部分」から順に剥がれ落ち、最終的には「地理」にもとづく地政学的思考にもとづくものになってゆくのではないか。「歴史は繰り返さないが、しばしば韻を踏む」とは、歴史では全く同じ出来事は起きないが、しばしば似たようなことは起きるという意味だが、その大きな理由はこれだと思う。

 日本が「自由で開かれたインド太平洋」を実現するための戦略を作り上げ、実行してゆくには、経済や技術の次元、兵器や戦争の様相の変化なども十分に踏まえることになるだろうが、その基礎になるのはやはり地理を基本とした古典的な地政学ではないか。

 このような考えから、海上覇権の歴史を俯瞰することにより、海洋国家の生存・繁栄のための戦略を考える上での様々な示唆が得られるのではないかと考えた次第だ。本ブログがシーパワーや海軍戦略を理解し、新たな構想を練る上で何らかの参考となれば幸いである。

※本稿は拙著『海軍戦略500年史』の一部を加筆修正したものです。