山本聯合艦隊長官ご存命中伺ってみるべきであったと思うことがあります。政治とは縁を切ったうちわの話として、当時軍令部はどうしてあの対米英比「10:10:6」という数字にあんなに拘泥したのでしょうかということです。1回勝負を前提にした優勝劣敗の数学を、米国のように開戦後いよいよ強大になれるようなマンモスとの戦争に適用できるわけがないでしょう。
もともとこれは「ランチェスター第二法則」といわれているゲームの理論で、我々は「ルート2の法則」と習い、岡田貞寛氏(海経25期)によれば訛って「円助野郎(えんすけやろう)」と言われていたのだそうです。敵味方の兵力それぞれの2乗の差の平方根が一会戦後の残存兵力。つまり両艦隊が決戦場にまみえて一挙勝負をするときの勝敗を予想するルールです。海軍は開戦時「10:10:7」にしたと思っていました。数字を当てはめると分かるとおり、米国が太平洋艦隊(10のうち半分の5)をもって迫るなら、日本の「7」はそれを全滅させて更にほぼ「5」の兵力を残し、大西洋艦隊を待ち受けることができます。
またこれとは別に、艦隊は1,000マイル進出するごとに戦闘力約10%の消耗があるという一般論がありました。ハワイから遠い極東海域での会戦が成功すれば、十分互角の決戦になります。また佐藤鉄太郎中将は「帝国国防史論」において、攻者は防者に対し数的に優位であるべきことを史実に即して論じておられます。それぞれ、一理ある話ではありましょう。米国に対日作戦オレンジ計画ができ、大白色艦隊の戦艦16隻が日本に示威をかけてきた当時(1908年)、植民地比島を守るために来攻する米艦隊を極東水域で迎え撃つシナリオ、すなわち艦隊の全力をあげての決戦構想は、現実的であったでしょう。
米国はしかし、その後、こういうシナリオの基本は変えないものの艦隊決戦よりも日本と南方との分断、そして封鎖を重視するようになりました。比島は早期に日本に占領されるであろうし、比島の後方支援能力では、大艦隊を維持する見込みがありません。航空機・潜水艦の発達もあります。修正は当然です。しかし、それで困るのは日本であります。艦隊決戦は起きるのか起こらないのか。局地における遭遇戦の連続で、きびしい消耗戦となるのかどうか。対米英比率は、いままでどおりでよいのかどうか-。
海軍中央は、満州事変以後の世界情勢の緊迫に備えて、ついに昭和9年末、軍縮会議からの脱退、比率の廃棄を決心し、やがて46糎砲の「大和」「武蔵」の建造を決心することになります。「6」を「7」以上にするためです。
聯合艦隊は、昭和17年ミッドウェー作戦の前にも艦隊決戦の演習をやっていました。ハワイ空襲の成功を横目で見ながらまだ艦隊決戦は起きると考えていたのでしょうか。そもそも米国のように絶大な工業力を持つ国なら、新しい艦隊をいくらでも造れるのだ。わが兵学校の高田悧教官は、米国は開戦後に強くなる国だといわれた、と私はその艦隊決戦の演習に参加している旗艦「大和」-海軍中央がむやみに比率に拘泥して建造した「大和」-の高射装置にまたがりながら、考え込んでいました。
ミッドウェー海戦に敗れて西方に離脱する士官室で、私が質問したからだったか、その答えた人がそれだったがもう記憶していないのですが、その人は、こんなことをいいました。すなわち、あの比率はゲーム理論とは無関係である。海軍の「あきらめの数字」だ。あれ以上のシェアを要望してもどうせ日本の国力では頂けるはずがないことは分かっている。そして艦隊決戦の訓練だが、あの兵力集中と協力のこつが呑み込めたら、いかなる海上戦闘にもたえられるはずだという信念からなのだ。これが日本海軍というものなんだ。
私はそのときなあんだと半信半疑でありました。しかし、その一切の感傷を捨てた何気ない言葉は海軍のそういう親孝行ぶりもあるのかという思いとともに、戦後も私の胸中に残っております。「それがサイレントネイビーというものですか」と山本長官に聞いておけばよかったですが、いつもむっと押し黙っていられるもので、内田海軍大尉は、こわくて遠くから敬礼だけですませました。
※本稿は、内田一臣「懐かしの海軍」『水交』(平成12年4月)の一部を許可を得て転載したものです。