▼はじめに

 「半世紀ぶりに日本で五輪が開催される2020年を、未来を見据えながら日本が新たに生まれ変わる大きなきっかけにすべきだ」「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」これは安倍首相が憲法施行70周年に際して語った言葉である。(2017年5月3日読売新聞インタビュー)

 この発言を踏まえ、自民党は2018年3月の党大会において、9条に関しては、戦力の不保持を定める「9条2項」を維持したまま「9条の2」として自衛隊の根拠を定めるという憲法改正案を報告した。本来ならば、9条全体に関する「本質論」を展開して条文を見直すのがもっとも望ましいが、厳しい国内情勢を踏まえ、「本質論」にこだわることにより長期にわたって合憲違憲論が残るのであれば、これが「実現可能なベストの案」(高村正彦自民党副総裁)という考え方である。

▼何の変化もないのか

 そもそも安倍政権の目指す憲法改正は、「憲法学者の約2割しか合憲と言い切る人がいない。命を賭して任務を遂行している者の正当性を明文化・明確化することは、改憲の十分な理由になる。」(2018年2月6日衆院予算委員会)との首相答弁のとおり違憲論の払拭が主な目的である。「本質論」とは大きな開きがあるものの、長年の懸案の一部でも解決されるのならば、それはそれで大きな意味のあることである。

 しかし、一旦改憲論議が本格的に始まれば、戦力の不保持を定める9条2項が残る以上、自衛隊の装備や兵力に係る戦力該当性の論点に焦点が当たるのは確実で、自衛隊違憲論が完全に払拭されるのか懸念される。

 また、自民党が言うように「自衛隊の任務や権限に変更が生じることはない」というのであれば、改憲の必要性そのものに疑問が呈されることになりかねない。事実、公明党の山口代表は2018年11月の講演で「(安全保障関連法の整備で)日本を守り、世界と協力する制度はしっかりと整った。大多数の国民の皆さんは自衛隊は必要だと認めている」と指摘し、9条の改正に改めて慎重な立場を示している。

▼国民、隊員にとっての意義を語れ

 理想論とはいえない「9条の2」が、違憲の立場をとる憲法学者や国民にのみ向けられるのならば議論の道筋は困難なものとなり、不毛な「神学論争」ともなりかねない。改憲論議を少しでも建設的に進めるには、自衛隊設置の合憲性が明確にされることによる意義を多くの国民に肯定的に評価してもらう必要がある。

 そのような意義として、「隊員の士気向上に資する」ということが考えられる。ただし、それは憲法の条文が変わったことをもって足れりとするのではなく、何らかの実質的な改善が伴っていることが条件である。

 自衛隊創成期以来の隊員たちは、違憲論からくるいわれなき誹謗中傷を受け、時に日陰者扱いされながらも強い使命感をもって任務に邁進してきた。これらの「元隊員」たちは長年の国への献身が憲法改正により報われたとの感慨を抱くだろう。

 一方で、現在の隊員たちは、時に合憲違憲論にさらされることはあっても、国民の自衛隊に対する認知度や期待・信頼が高まった中で任務を遂行しているので、元隊員たちとは異なる憲法問題への思いがあるのではないかと思う。それは海外派遣を含む厳しい実任務が日常化するなかで感じている葛藤の解決、すなわち政策、法制面から来る自衛隊の活動上の課題を改善してくれることや平和安保法制審議でもクローズアップされた隊員の「リスク」に国民が正面から向き合ってくれることではないかと思う。

 このような議論を深めることができれば、国民の防衛に関する当事者意識を高め、「命を賭して任務を遂行している者」との紐帯も強めることができるだろう。そうであればこそ「9条の2」にも大きな意義が見いだせるというものである。

▼国民は「事実上合憲」「政策追認」

 そもそも国民の意識はどうなのだろうか。最近の世論調査(読売新聞2018年3~4月実施、回収率65%)の結果では、全体として憲法改正の賛否はほぼ拮抗してきたが、2018年の調査で3年ぶりに賛成が反対を上回っている。ただし、反対する理由として「時代の変化に応じて、解釈、運用に幅を持たせればよいから」が上昇した(33%から40%)ことは注目される。

 9条については、戦争放棄を定め「平和主義」を象徴する1項について改正する必要が「ない」が82%で幅広く支持されているが、戦力不保持と交戦権否認を定めた2項については「戦力」「交戦権」の政府解釈の理解のしにくさもあるのか、改正の要否は拮抗している。

 自衛隊については、その存在が「合憲」は76%にのぼり、「違憲」は19%にとどまっている。憲法への自衛隊明記に「賛成」は、合憲派で57%、違憲派で52%といずれも過半数を超えている。また、今の9条は変えずに「9条の2」として自衛隊の存在を明記することに「賛成」は55%、「反対」は42%となっている。

 全体として国民の多くは自衛隊の存在を合憲と見ているが、9条の法解釈は自衛隊発足以来2014年7月1日の閣議決定による解釈変更を除き不変であることを考えると、法解釈に基づいて合憲と思っているわけではなく、長年の自衛隊の活動の積み重ねに対する肯定的な評価が影響していると思われる。また、合憲違憲論の存在は認識しているものの憲法そのものにこだわるというより、国益に基づく判断として、近年の安保政策の変更を追認している様子がうかがえる。憲法の改正には国民投票において過半数の賛成が必要であるから、「9条の2」が現実的な案であることは理解できる。

▼憲法学界は「違憲」

 「自衛隊合憲」が8割近い国民一般とは異なり、憲法学界ではなお半数以上が「違憲」と考えている。(読売新聞社による憲法学者に対する意向調査、2018年3~4月実施、回収率29%)

 したがって、9条2項を維持したまま「9条の2」に自衛隊の根拠を定める方式では、自衛隊の実態は9条2項が保持を禁じている「戦力(自衛のための必要最小限度を超える実力)」に該当するのではないかとか、防衛出動時に限定的ながらも集団的自衛権を行使するのは「必要最小限度の実力の行使」を逸脱しているのではないか等と改めて議論されるのは確実である。

 改憲論議の過程においてこれらの違憲論を封じ込めるために従来の政府解釈を上書き、補強することにならないか、また、その結果として自衛隊の諸活動に影響が生じないか懸念される。

▼「9条の2」論議は「両にらみ」で

 以上のような状況を踏まえ、「9条の2」による改憲が「実現可能なベストの案」であるとの前提に立つならば、その改憲論議は「任務や権限に変更はない」ことを「担保」しつつ今以上の自衛隊への制約が及ばないようにする一方で、国民と自衛隊にとって意義あるものにするという「両にらみ」で進められることを期待したい。

 その舵取りは容易ではないだろうが、単なる「明文化」を超えて少しでも「本質論」に近づけ国民の理解を得るとの観点から、見直し、改善を要する課題として、以下に述べる「専守防衛」、「武力行使との一体化論」、「隊員の法的懸念、処遇」、「呼称問題」の4点は特に重要であると考える。

▼「専守防衛」は「戦略守勢」へ

 まず、9条2項を変えずに「自衛のための必要最小限度の実力組織」として自衛隊を位置づけるというのであれば、真っ先に再検討されるべきなのは専守防衛という考え方ではないかと思う。そもそも「必要最小限度の実力」でしかない自衛隊であるならば、それを憲法の趣旨の範囲内で最大限に使えるようにしておくことは当然のことだと考えるからである。

 専守防衛という言葉は、昭和45年に発表されたいわゆる防衛白書「日本の防衛」で正式に登場し、以後国会における質疑応答でもしばしば用いられてわが国の防衛の基本的な方針とされているものである。

 その考え方は、相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し、その防衛力行使の態様も自衛のための必要最小限度にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最小限度のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいうものとされている。

 一方、近年の北朝鮮の弾道ミサイル発射を受けて、敵基地攻撃に関する議論に注目が集まっているが、こちらの基本的な考え方は、1956年の鳩山首相答弁に明確に示されている。すなわち、「わが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行なわれた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられない」とし、「誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能である」というものである。

 この答弁に示されるような自衛権行使の「程度」の問題を、専守防衛の「攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使する」という「時期」に関する原則と結びつけ、ミサイルが発射される前に策源地を攻撃するのは憲法上許容されないとする議論が行なわれることがあるが、これは自衛権行使に関する異なる側面を同一視して論じるものであり適当ではない。

 このような議論を防ぐには、現在の専守防衛の考え方を「憲法の趣旨」の範囲内で時期と程度を明確に区別して論じ、サイバー攻撃等の新しい領域における問題についても追加整理し、新たな解釈として「戦略守勢」という言葉に置き換えることが適当であろう。

 そして、このような「戦略守勢」の考え方にもとづいて検討されるべきなのが、敵基地攻撃能力の保有である。現在は北朝鮮の弾道ミサイルへの対処として、イージス艦等の防衛システムが配備されている。しかし、これらの迎撃能力には限界があるため、防衛システムのみで多数のミサイルに100%対処しようというのは現実的ではなく、費用対効果の面からも一定の策源地攻撃手段と組合せるのが合理的だろう。

 日米同盟の下、米軍は自衛隊を支援し及び補完するため、打撃力の使用を伴う作戦を実施できるとされており、この点に関する疑問はない。しかし北朝鮮は同盟関係の動揺を狙って、核と様々な射程の弾道ミサイルを巧妙に組み合わせた攻撃をしかけるであろうことから、米軍が日本が希望するとおりの攻撃をタイムリーに実行できない可能性も考えておく必要がある。

 わが国は、1978年の政府見解で「自衛力の具体的な限度については、その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面を有することは否定し得ない。もっとも、性能上専ら他国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる兵器については、いかなる場合においても、これを保持することが許されない」としている。

 日本がこの政府見解の範囲で、日米同盟の基本的な役割分担の考え方や「戦略守勢」の方針と両立し得る範囲の攻撃能力を持つことを真剣に検討すべきである。

▼「一体化論」に例外規定を

 海外派遣で厳しい任務についた隊員が、「9条の2」論議にあわせて改善を求めるものがあるとすれば、それは海外での後方支援活動等に関する「武力行使との一体化論」ではないかと思う。9条との厳格な整合を図ることが、国益や国の安全を図るという肝心の政策判断に優先し、派遣された部隊の活動を不必要に制限しかねないからである。

 一体化論とは、他国の武力行使と一体化しない自衛隊の活動は、憲法9条に抵触しないという考え方である。1990年、イラクのクウェート侵攻をきっかけとして自衛隊による多国籍軍への後方支援が検討され、国連平和協力法案が国会に提出された(その後廃案)。この時、「国連軍の目的・任務が武力行使を伴うものであれば、自衛隊が参加することは憲法上許されない」とした過去の政府見解との整合性を図るため、内閣法制局が「戦闘行為のところから一線を画されるようなところまで医薬品や食料品を輸送するようなことは、憲法9条の判断基準からして問題はなかろう」としたのが一体化論の始まりであった。

 他国の武力行使と一体化するかどうかは、①戦闘が行なわれている場所との地理的関係、②行動の具体的内容、③他国の武力行使に当たる者との関係の密接性、④協力しようとする相手の活動の現況等、四つの考慮要素を総合的に勘案して個々に判断するとされた。これに基づき、99年の周辺事態法では「後方地域」、2001年のテロ対策特別措置法や2003年のイラク復興支援特別措置法では「非戦闘地域」という概念が整理された。

 平和安全法制では、四つの考慮要素はそのままで、協力をしようとする相手が現に戦闘行為を行っていないという④の相手の活動の現況を中心として、そうであるならば①の地理的関係においても、戦闘行為が行なわれている場所と一線を画する場所で行なうものであることに変わりはない等の考え方をとり、「現に戦闘行為が行なわれている現場では支援活動を実施しないこと」と整理された。

 これにより、想定されるほとんどの後方支援活動は実施できるようになり、大幅に改善されたのだが、重要な欠落が残されている。それは人道的見地から戦闘地域であっても実施されるべき捜索救助活動である。現に戦闘地域でない現場で活動していたとしても、予期せず戦闘が始まり難船者と遭遇する可能性は否定できない。戦時国際法を定めたジュネーヴ第2条約では、難船者の捜索、収容のため全ての実行可能な措置をとらなければならない等の規定があり、難船者を適切に取り扱うことは国際社会の要求でもある。

 この活動を実施しない場合、9条との整合性は保たれるものの、国際社会からは非人道的かつ国際法違反とみなされ、国際法上の処罰の対象となる可能性があり、他国の「宣伝戦」の格好の材料ともされかねない。わが国は帝国海軍の時代から難船者を適切に取り扱ってきた伝統を有している。捜索救助活動は、戦闘現場でも例外的に実施できるとすることが望ましい。

 本来であれば「一体化論」を脱却して、外国からの要望、国益と自衛隊の能力を勘案して、政策的見地からケース・バイ・ケースで判断されるべきである。しかし、「一体化論」は9条1項と密接に関連しており、容易に検討の俎上に載せられないため、次善の策として上記の例外規定を設けるべきである。

▼隊員の法的懸念の解消

 自衛隊が憲法上の根拠を与えられたとして、隊員個人はどのような法的処遇を受けることになるのかは大きな関心事である。

 例えば、隊員が海外派遣任務中に民間人を誤射して死亡させた場合、刑法の業務上過失致死罪に該当すると思われるが、この罪は国外犯に含まれていないため罰することができない場合があると考えられる。任務遂行中の隊員の過失の有無及びそれに基づく処分について、防衛省は「事案ごとに調査して判断する」としているため、派遣される隊員が安心して任務につくためには、このような場合における隊員の処分方針を明確にするなどして法的懸念を解消すべきである。

 また、隊員が負傷や死亡した場合の補償等にも改善の余地がある。これまでも海外派遣のたびに提起されたものの、結局は封印されてきた課題で、戦死者が出なかったのは僥倖だったともいえる。弔慰金の上積み等の規定はあるものの、国を代表してリスクを負って海外に派遣される隊員をどう処遇するのか、勲章の授与など国による顕彰制度のあり方、更には統合幕僚長等を認証官とするなどの地位向上策もあわせて検討されるべきである。

▼「自衛隊語」のねじれ解消

 自衛隊は、その部隊名、階級、装備品の名称を帝国陸海軍で用いられていた用語を外国軍隊についての訳語として使用する一方、自らは自衛隊用に考案された用語を多く用いている。

 これは、自衛隊が警察予備隊という警察組織をもとに発足したこと、「陸海空軍その他の戦力」に該当しないということを呼称の上からも担保しようとした結果であり、改憲にあわせて見直されるべきである。

 国民の目から見て自衛隊は外国軍隊と実質的に同じに見え、しかもその任務も国の防衛ということであれば同じものを同じ言葉で呼ぶのは当然といえる。護衛艦を見学に来た人からは「何を護衛するフネですか?」と質問されることがあるし、「普通科」と「歩兵」が同じであり、「運用課」が「作戦課」であることを知っている民間人はどれほどいるだろうか。このような本来の用語と「自衛隊語」のねじれ現象は、いまや国民の自衛隊に対する理解を阻害するものでしかないと思う。

 また、自衛隊は護衛艦を英語で「destroyer」と米軍に倣って呼称しているが、最近就役した大型艦もすべて護衛艦としていることから、特に漢字圏の国々からは何か隠れて軍拡しているのではないか、わざと組織を分からなくしている、透明性に欠けるのではととられかねない。

 これらの呼称の問題は解決されれば、隊員の士気の面からもプラスに働くことは間違いなく、是非とも実現されるべきである。

▼「その先」は「コンティンジェンシー・プランニング」

 以上取り上げた四つの論点は改憲論議にあわせて検討されるべきものであるが、「改憲のその先」に取り組むべき課題として「日米共同コンティンジェンシー・プランニング(事態対処計画の作成)」の推進を挙げたい。

 法律や解釈の変更が「入口」であるとすれば、計画の作成とそれに基づく訓練や実動は「出口」に当たる。新しい法律やその解釈を日米共同作戦計画の中に具体的に落とし込み、実地に訓練して必要な法的課題を抽出して改善につなげる。この一連のサイクルを機能させてこそ、改憲をはじめとする法的な措置が実際に効力を発揮することになる。

 プランニングにあたっては、朝鮮半島、東シナ海等において日米が共同対処すべき緊急事態を定義し、日米政府レベルの戦略目標、自衛隊と米軍の作戦目的を整合させ、戦術レベルでは部隊行動基準(ROE)に踏み込んだ調整を行なう必要がある。あわせて、日米各レベルの「意思決定サイクル」の整備も必要となる。これにより自衛隊と米軍の共同作戦能力がさらに向上することになる。

 自衛隊は平和安全法制を受けて新たな任務に向けた準備を進めてきたが、改憲論議は日米共同をより進化させるチャンスである。日米のグレーゾーンに関する法制の違いなど克服すべき課題はなお多いが、国民の理解を得つつ着実に進めるべきである。

▼おわりに

 来るべき憲法改正では、国会による発議、国民投票など乗り越えなければならない多くのハードルがある。しかし改正するからには、単に憲法に自衛隊を明記するだけでなく、改憲論議を通じて、本稿で挙げたような重要な課題の解決にも取り組んでもらいたい。

 実現できそうな案が「9条の2」だからというのではなく、自衛隊が直面する現実との乖離を是正し、内外の情勢により適切に対応できるようにし、それを通じて憲法の正統性や国民統合を高め、国の安全をより万全なものとするのでなければその意義を国民に訴えることは難しいといわざるを得ない。 改憲論議を通じて、防衛論議が憲法論から真の政策論として脱皮できるようにし、「未来を見据えながら日本が新たに生まれ変わる大きなきっかけ」を実現したいものである。

※本稿は、(一社)日本戦略研究フォーラム季報2019年1月号に掲載された拙稿を許可を得て転載したものです。