水交会第6代会長の木山正義氏(海機40期)が、「よき伝統」の「よき」の二字について語っている。
木山氏が会長に就任したのは昭和53年であるが、当時、水交会の主たる目的が「戦傷病者戦没者御遺族等となった者の援護」とされていたところ、戦後30年以上を経過したこともあり、この目的に「戦没者等の慰霊顕彰及び旧海軍の伝統精神の継承」を加えようということになった。そこで、この案を厚生省援護局に提示、認可を求めたが、なかなか認めてもらえない。しびれを切らした理事長が、援護局長及び旧知の事務次官を訪ね、いかなる理由で承認されないのか説明を求めたところ、「…海軍は先の大東亜戦争で惨敗したのに、海軍の伝統的精神を継承するとはいったいどういう事ですか。こちらから聞きたい…」という厳しい質問を受けた。この一言に対し、何らの返事も出来ず、ただ沈黙し、この部分については削除せざるを得ないかと思われたという。
ただ、我々海軍軍人は戦に敗れたとはいえ、海軍の伝統的精神を体し、戦後、政界、財界等、各方面において国家再建のため尽してきた。何故にその精神を貶めるかと憮然たる思いであったが、「海軍にも随分悪い点があったから…」と思い直し、「海軍の「よき」伝統的精神」としたらどうかと提案した。すると二人は「それならよいじゃないか」と言うことになり、ようやく55年11月追加改訂が実現した。
木山元会長は、「水交会のことを思う時、この「よき」の二文字を忘るる事ができない。」と述べ、「海軍の敗因の根源は「教育にあり」と思わざるを得ない」としている。また、井上海軍大将が「唯一の遺稿」(「朝日ジャーナル」51.1.16)の中で兵学校及び機関学校の教育を調査し、「みんな機関学校に入れたらいい」と極言されたことや「明治の頭で昭和の軍備をした」と評し、急激な科学の進歩に対応できる教育をすべきであるとして、防衛大学校を工科大学とすることを進言したこと等を紹介している。そして、「兎に角、教育は、国家の興亡を左右する重大な問題であり、海上自衛隊の御努力と発展を心よりお祈りしたい」と結んでいる。
我々が先輩から継承しているのは、海軍の「よき伝統」のはずであるが、今や何が伝承から漏れたのか、何が悪しき伝統だったのか、その全体を知ることは難しい。だからこそ、継承したものを一度しっかりと自分の頭で考えてから教育していかなければならないということだと思う。
阿川弘之著『高松宮と海軍』にこんなくだりがある。松永市郎氏(海兵68期)が自著『思い出のネイビーブルー』を高松宮に献上したところ、人を介して一度高輪の御殿に来るようにとのお言葉があった。彼が参殿すると、当時72歳の殿下が、「兵学校出の連中の書く文章は、どれも堅くて、あんなもの世間の人は読まないだろう。君は兵学校出にしては珍しく、皆が読みそうな面白いものを書いたね。これからも書き続けるといいと思うんだが、一つだけ注意しておきたいことがあって、それで来てもらった。海軍の美点長所ばかり書いていても、後世のためにならないからね。むしろ、欠点短所を書き残しておくと、それが後世役に立つ。これからは、海軍のよくなかった面も堂々と書き給え。もし苦情が出たら、高松が書けと言ったんだと答えればいいよ。」と言われたという。
※本稿は、木山正義「水交会創立50周年に当りて」『水交』(平成14年9月)の一部を許可を得て転載したものです。