北朝鮮の平昌冬季五輪を利用した「目くらまし戦術」が続いています。韓国に対する「揺さぶり」も見え透いてはいても、それなりの成果を挙げているのは確かでしょう。核実験とミサイル発射で悪化した北朝鮮のイメージ改善とICBM完成のための時間稼ぎは成功です。あとは、国連制裁違反の疑いのある北朝鮮選手団や芸術団の宿泊費などの韓国政府負担を引き出せば「目的達成」ではないでしょうか。
韓国の文大統領は、「ろうそくの火を風から守るように(南北)対話を守り育てていきたい」とし、南北融和に向けた国民の団結を求めたと報じられています。一方で、北朝鮮の「祖国平和統一委員会」は、韓国の市民団体がデモで北朝鮮国旗などを燃やしたことを非難し、「五輪に関連した今後の措置も慎重に考慮せざるを得ない」と揺さぶり、参加見送りをほのめかしています。
このように平昌冬季五輪が平和裏に行なわれるのかも希望的観測ではなく、事実と兆候に基づいて慎重に見なければなりませんし、米CIA長官が語っているように、北朝鮮が米本土を核攻撃する能力を確立するまでに、「数えるほどの月しかない」ということであれば、五輪後にいずれ再来する緊張状態を見越して、不測事態の発生に備えなければなりません。今の南北対話ムードは「南北チャンネル」での話であり、「米朝チャンネル」で進んでいる裏番組は静かにクライマックスに向かっていると見るべきでしょう。
この1月23日は、プエブロ号事件から50年目にあたりました。北朝鮮のゲリラ部隊による韓国の朴正煕大統領殺害未遂となった青瓦台襲撃事件から2日後の1968年1月23日、佐世保から出港し北朝鮮東岸の元山沖で情報収集任務中の米海軍プエブロ号が、領海内に進入したことを理由(米側は否定)に北朝鮮警備艇などから攻撃を受け、乗員1名が死亡、残る乗員82名が身柄を拘束された事件でした。翌年の4月15日には厚木から離陸した米海軍所属のEC-121電子偵察機が北朝鮮の清津沖で北朝鮮のMiG-17に撃墜され乗員31名全員が死亡しています。
このところの緊張状態にもかかわらず幸運にも朝鮮半島で戦火を交えるところまでは行っていません。私たちは無意識のうちに、現在の傾向は続き、将来は過去の延長線上にあると考えがちです。これを現状維持バイアス(Status Quo Bias)と呼びますが、北朝鮮の言行が単なる「揺さぶり」なのか重大な変化の兆候なのか、これからも注意深く見てゆく必要があります。(2018年1月29日記)
さて、第11回は以下のとおりウォーゲームについて説明しました。今回はCOAが決定され、「指揮官見積り=作戦概念」が示された後の計画と命令作りについて説明します。
▼計画を作成する
COAが決定され、指揮官見積り(作戦概念)が示された後、熟慮型計画であれば計画作業が続行されますが、危機対応型計画の場合には、ただちに行動を起こせるように作戦命令(OPORD)の起案が開始されます。いずれの場合も、指揮官見積り(作戦概念)に基づき、指揮下部隊及び支援部隊等の支援を得ながら、必要な兵力計画や諸支援計画に関する作業が実施されます。
統合作戦計画の例として「イラクの自由作戦」のもとになった「作戦計画1003」では、200ページの本文に加えて20件あまりの付属文書からなる合計600ページほどの文書であったとされています。諸支援計画等に加えて、部隊展開の細部計画(TPFDD: Time-phased force and deployment data)が完成したら、地域統合軍司令官の了承を得て作戦計画と作戦命令を正式に文書化する手続きに入ります。
統合部隊指揮官は、TPFDDとともに計画、作戦命令を計画担当チームJPEC(Joint Planning and Execution Community:統参本部、地域統合軍司令部等及び関係省庁等から構成)による審査に供し、その結果は統参議長に報告されます。統参議長は、国防長官に対して計画承認の可否を進言しますが、計画の内容により、承認権者は大統領または国防長官となっています。
▼命令を作成する:5パラグラフ・フォーマット
このような大部の作戦計画とは別に、様々な命令が個別に起案・発出されますが、すべての命令は、基本的に「5パラグラフ・フォーマット(5-paragraph format)」という様式によることとされています。
これは、不斉一、不完全な指示命令に悩まされていた米軍において、1世紀以上にわたって改善が続けられてきた意思決定方法の基本となるものです。作戦の規模、複雑さ、時間的余裕、指揮官のレベル等によって詳細さや分量は変化するものの、指示、命令等において必須の情報を示すための普遍的なフォーマットとなっており、書面、口頭両方で常用されます。フォーマットの概要は以下のとおりです。
パラグラフ1: 情勢(Situation)
指揮下の部隊が、計画された作戦の背景を理解するための情勢の要約であり、上級指揮官の意図、友軍、敵の三つの要素について述べるのが基本です。
パラグラフ2: 使命(Mission)
指揮官のミッションステートメント、目的と任務を簡潔かつ明確に示します。
パラグラフ3: 実施(Execution)
2段階下位までの指揮官に作戦全体の使命を共有して行動させるに足る指揮官の意図を示し、関係する下位指揮官に対する目標、任務等を付与します。
パラグラフ4: 管理及び後方(Administration and Logistics)
後方、人事、医務・衛生等について必要な事項を示します。
パラグラフ5: 指揮統制(Command and Control)
指揮系統、指揮統制に関する下位指揮官への委任事項、指揮官に事故が生じた場合の指揮の継承要領、通信計画等を示します。
▼作戦関係の文章のあり方
ところで、我が国では海軍以来、作戦関係の文章は「簡潔にして明確に」といわれています。しかし、その海軍でも太平洋戦争の中盤以降になって戦局が不利になると、勇ましい美文調の語句が多くなり、命令の必須要件たる「簡潔にして明確」が押しやられ、作戦目的、攻撃目標が明示されないことも少なくなかったようです。
開戦初頭のハワイ作戦の時の命令は、「…機動部隊並に先遣部隊は極力其の行動を秘匿しつつハワイ方面に進出、開戦劈頭機動部隊を以て在ハワイ敵艦隊に対し奇襲を決行し之に致命的打撃を与ふると共に先遣部隊を以て敵の出路を扼し極力之を捕捉攻撃せんとす。空襲第1撃をX日0330と予定す。…」となっており、まさに簡明で作戦の方針が明確に理解できる文章となっています。
これに対し、戦争末期の捷号作戦時の作戦方針は、「…聯合艦隊は陸軍と協同、来攻する敵を捷号決戦海面に邀撃撃滅して、不敗の戦略態勢を確保す。森厳なる統帥に徹し、必勝不敗の信念を堅持し、指揮官陣頭に立ち、万策を尽くしてこの一戦に敵の必滅を期す。…」となっており、「不敗の戦略態勢」、「必勝不敗の信念」、「万策を尽くす」等、具体性が乏しく、精神論的、抽象的な表現が目立つようになっています。
簡潔と明確を要件とする命令ですらこのとおりでしたから、指令、指示、訓示となるとこのような傾向は更に強まり、幕僚は「名文」を書くのに少なからぬ精力を費やし、その結果として通信量の増大を招き、より重要な状況判断が犠牲にされたきらいがあったとされています。今日、このような「美文」を見ることはまずありませんが、日本語特有の主語の欠落、曖昧な語句や常套句の多用、具体性のない文章等の傾向には警戒しなければならないと思います。
また、「作戦計画1003」の例に見られるように文書としての作戦計画そのものの肥大化には引き続き留意しなければなりませんが、現状は問題になるほどではないと思います。むしろその一方で、概念の視覚化やプレゼンテーション重視の弊害かもしれませんが、正確な文章化をすることなく簡単な体言止めの文言と図形や矢印を使ったスライドで良しとし、分かったような気になる傾向が見られるように思います。米軍でも”Power Point Ranger”といえば以前はスライド作りの名人を指していましたが、近年このようなマイナス面を含めた意味で使う向きが増えたように思います。
▼実施段階への移行: 移行ブリーフィング
作戦計画が完成したら、起案した命令(案)とともに作戦を担当する部隊に伝達し、作戦開始に向けた状況把握(SA: Situation Awareness)態勢を強化させ、計画段階から実施段階へ移行(Transition)します。
移行段階は、予定される統合部隊指揮官から、統合部隊に編成される予定の部隊に対して包括的な「移行ブリーフィング」が行われることにより開始されます。移行段階に入ったら、関係する司令部や部隊が、統合部隊編成時に円滑に作戦の一貫性と同期化が図れるように、情報など所要の部署については先行的にバトルリズムを発動することもあります。
この移行段階の例として、フォークランド紛争における移行ブリーフィングを見てみると、「不朽の自由作戦」を戦いながら1年4か月もの期間をかけた準備を周到に行なった「イラクの自由作戦」と異なる展開をたどったことが分かります。
1982年4月1日、任務部隊のフォークランド諸島への派遣が閣議決定され、急遽バラバラに出撃してきた現場指揮官たちは、4月17日に前進基地となったアセンション島に到着しました。本国から空路到着した任務部隊全体の指揮をとるフィールドハウス海軍大将(本国で指揮を執る)は、空母戦闘群ウッドワード海軍少将(旗艦「ハーミーズ」乗艦)、水陸両用群クラップ海軍准将(旗艦「フィアレス」乗艦)、地上群トンプソン海兵隊准将に対して、「ハーミーズ」艦上で丸1日費やして作戦の全側面についてロンドンで検討された計画をブリーフィングしました。英軍の本格作戦開始わずか2週間前のことであり、「走りながら考える」式の移行作業でした。
なお、この前日、フィールドハウス大将の到着前に各群指揮官3人は予備的な会談を持っていますが、この時点では、作戦に関する見解が大きく違うことが明らかとなっており、17日のブリーフィングで漸く意思統一ができたといわれています。
▼移行訓練で開戦準備を整える
移行ブリーフィングの後は、準備期間をおいて開戦時期に合わせた移行訓練(Transition Drill)が行なわれ、下位の指揮官や幕僚が計画に対し習熟するために図上演習や、リハーサルなどを行なうのが普通です。
「イラクの自由作戦」における移行訓練の例を見てみます。開戦3か月前、フロリダ州タンパの中央軍司令部要員600名が送り込まれたカタールの新しい現地司令部が稼働を開始しました。この司令部要員に加えて新たに200名の支援要員を得て、4日間の「インターナル・ルック」演習が実施されましたが、これは予定される作戦の指揮統制に関する机上予行演習でした。
新しい司令部施設と演習は記者団に公開されました。記者団に対しては「1990年以来、数次にわたって実施されているもので目新しい演習ではない」と説明されましたが、この演習を通じて現地司令部は実戦に向けた貴重な教訓と要改善点を把握することは言うまでもありません。
「イラクの自由作戦」については、このような移行訓練と並行して、開戦準備も推進されました。外交を支援するためにTPFDDを見直し、段階的な動員が行われたことは説明しましたが、この徐々に行われた動員計画を隠れ蓑に、「フェーズ0」における抑止態勢の構築や部隊展開が推進されました。
なかでも、兵力の急派や演習の実施等によりイラクに開戦近しと思わせ翻弄する「スパイク(Spike)」は積極的に実施されました。これにより、イラク軍の初動対応策の一部が明らかになったり、イラクの情報機関を「オオカミ少年」化させ情報見積りを混乱させる効果が期待されました。一方で不測事態の発生も懸念されていたわけですが、現地米軍部隊の即応能力を見極めつつ実施されたため、大きな問題は生じずに済みました。
これらの軍の増派や行動は、小さなニュースとして取り上げられることはあっても大きく注目を集めることはなく、4隻目の空母トルーマンの派遣さえ大きな注目は引きませんでした。結果的には、「目につくところに隠せ(Hide in plain sight.)」という作戦は成功し、所要の開戦準備は順調に進んだということができます。
※本稿は拙著『作戦司令部の意思決定』の要約抜粋で、メルマガ「軍事情報」(2017年10月~2018年3月)に「戦う組織の意思決定入門」として連載したものを加筆修正したものです。