9月15日以来のミサイル発射でした。北朝鮮は「核武力完成」と言っているようですが肝心の弾頭部分が「?」のままです。メディアはどうしてもその時点ごとの切り取り、スナップショットに走りがちで、私たちもそこに注目してしまうのですが、北朝鮮とて作戦計画をしっかり立てて取り組んでいると考えるならば、まだまだ完成したとは言えないはずのICBMを「完成」と言う真意は何だろうと考えるべきではないでしょうか。
遠からず専門家の分析結果が示されることになるでしょうが、本当に完成したのならば対話モードに入る準備が整ったというシグナルでしょうし、米国はそのような状況を受け入れないでしょう。すべての選択肢はテーブルの上にそのままあります。一方、完成したというしかない状況、つまり、当面これ以上国際社会に見せることのできる成果はないということならば、米国に足元を見られることになるでしょう。しばらくの間、注目されるところです。
さて、国際社会はなすべきことを粛々となしつつあるようです。北朝鮮の資金源を締め付けるために米国は追加制裁に乗り出しています。中国は不快感を示していますが、中朝国境から北朝鮮労働者が消えたとか、国境の橋を「閉鎖」するなど中国も制裁強化に動いている様子が伝えられています。今回のミサイル発射でこの動きは加速することになると思います。
ちなみに、ちょうど1年前の新聞を見てみると「中国、北難民に備え食糧庫・収容施設確保か」(12月4日読売新聞)の見出しで、中国が正恩政権崩壊や戦乱の急変事態を想定した備えを本格化させている模様だと伝えています。
記事によると、北朝鮮で急変事態が起きれば、韓国との軍事境界線は警備が厳重なため短期的には難民は中国側へ流れる公算が大きく、その数は少なくとも30万人と見積もられているそうです。日本政府も1994年当時、北朝鮮核開発疑惑を受け米国が北朝鮮への攻撃に乗り出す事態となれば少なくとも10万人の避難民が船で日本に上陸すると試算したとされています。
最近、日本海側の沿岸に北朝鮮のものと思われる木造船が漂着しているのが報じられていますが、これは冬の季節風に流されてきたもので毎年のことです。一昨年は、12月中旬の段階で14隻の船と遺体31体が漂着したとされていますから(12月15日毎日新聞)、今後も増加することは間違いないと思われます。
ただ、この冬はこれまでになく厳しい経済制裁が課されていますので、北朝鮮の内政安定度が注目されます。北朝鮮を巡る情勢に「既視感」が増し、ある種の「慣れ」も見られるようですが、我が国も昨年の中国に負けないくらいには、時間を無駄にせず不測の事態への備えを万全にすることが望まれます。(2017年12月4日記)
さて、前回までに作戦計画を作るうえで重要な要素についての説明が終わりました。今回からは作戦計画を組立てる手順に沿って説明してゆきたいと思います。もちろん一般の方が軍事作戦を立案することはないのですが、その手順や考え方を知ることで、メディア等を通じて知る軍事情勢の一段深い理解が可能になると思います。また、ビジネス分野でも目標の設定からその達成までをどのように計画、管理するのかということについて参考にしてもらえるのではないかと思います。今回は、作戦術、作戦設計、JOPP(ジョップ)という言葉から説明してゆきたいと思います。
▼作戦計画を作る
これまで作戦の成り立ちや計画で用いる重要な要素や考え方を見てきました。ここからは、公開されている米軍の最新の統合ドクトリンに沿って計画立案のプロセスを解説することにします。
軍事作戦の計画といっても、一般の計画を立てるときに考えるような「目的」、「方法」、「手段」を組み合わせ、「リスク」対策をとるという点では本質的になんら変わらないものです。ただ、軍事作戦の場合は以下のような特徴がありますから、意思決定にあたる指揮官には大きな負担がかかると言えます。そしてその負担を合理的に管理しようというのがこれから説明する計画プロセスです。
① その成否が国家の安危に直接かかわること
② 人命を賭して多大な資源が投入されること
③ 敵との相互作用の中で常に変化する状況に対応し続けなければならないこと
④ 時間的制約が絶対的であること
さて、計画作成に当たろうとする指揮官や幕僚は、それぞれの経験や知識から作戦の目的とその達成のための方法、用いるべき手段等については、大まかなアイディアを持っていることが多いと思われます。また、優れた指揮官やベテランと呼ばれる幕僚は、状況を一瞥して適切な方針、計画を思いついたり、計画の欠陥やある場面でのリスクを鋭く指摘したりできるということはよくあることではないでしょうか。
このような指揮官やベテランの着想等を「作戦術」として生かしつつ、「作戦設計」という考え方に沿って作戦全体を構想してゆくのが統合ドクトリンの示すプロセスです。
作戦の構想に当たっては、作戦の流れをストーリーボードに書き出すイメージで、初めに大まかなスケッチを作成し、各ボードの内容を具体的に詰めつつ最終的には全体の流れを視覚化して、関係する指揮官や幕僚が等しく理解できるようにします。このような視覚化した作戦の流れを「作戦アプローチ」といい、これを導き出すのが「作戦設計」の基本的な成果物となります。
▼作戦術と作戦設計
作戦の立て方をひとことで言うと、「作戦術(Operational art)と作戦設計(Operational design)により、エンドステート(作戦終結時に達成されるべき状況、目的:ends)を達成するために、部隊が兵力(手段:means)をどのように(方法:ways)運用すべきかとの構想を立て、JOPPと呼ばれる標準手続きに沿って具体的な計画を作成する」となります。
ここでいう「作戦術」とは、普通の辞書には出ていない言葉ですが、「指揮官と幕僚の経験、素養、直感等に基づく『独創的な発想』を生かして作戦構想を立てる『科学(science)』ならぬ『術(art)』である」とされています。
また、「作戦設計」とは、その作戦構想を様々なツール、手法を用いて、部隊の大まかな作戦行動を示す「作戦アプローチ(Operational approach)」として明らかにするプロセスであるとされています。この「作戦アプローチ」は、最終的にはJOPPにより詳細な計画と命令に変換され作戦の実行段階に移行することになります。
作戦術の適用にあたっては、以下のような視点に立ってエンドステート達成と目的、方法、手段を関連づけることになります。
① 目的(ends):
達成すべき軍事的なエンドステートは何か? それはどのように戦略的エンドステートに関連付けられているか? 軍事的なエンドステートを実現するために達成すべき目標は何か?
② 方法(ways):
これらの目標やエンドステートを最も達成できそうな行動(方法)は何か?
③ 手段(means):
その行動に必要な能力は何か? 現有あるいは割当を要求している部隊(能力)で対応できるか?
④ リスク(risk):
当該行動の失敗や受容できない結果が起こる見込みはどうか?
さて、今後の説明の中で「術」の考え方が要所に出てくると思います。「術」などと言うものは、言葉で「こうして、ああして」と説明できるものではないという考え方がある一方で、本ドクトリンでは、歴史上の軍事的な天才と言われた人々が示した「術」の内容を凡人たる私たち指揮官や幕僚に対して、一定の教育や訓練で身につけられるよう、一つひとつドキュメント化しようとしたところが特徴です。一部説明されていなかったり、理解が困難な部分はありますが、今後のドクトリンの改訂で改善されてゆくものと思います。
▼「独創的な発想」とは
ところで、作戦術とは「指揮官と幕僚の経験、素養、直感等に基づく『独創的な発想』を生かして作戦構想を立てる『術』である」とされていますが、この「独創的な発想」のしかたについて統合ドクトリンは具体的な説明をしていません。これについて私たちはどう考えればよいのでしょうか?
太平洋戦争開戦に当たり、尋常一様の方法では対米戦争に勝てないと考えた山本五十六聯合艦隊司令長官が、型破りの奇手奇略を駆使する自身の構想を具現化できる「アイディア参謀」として白羽の矢を立て抜擢したのが、黒島亀人大佐でした。
黒島首席幕僚が編み出すハワイ作戦等は、実に見事に成し遂げることができました。若手士官の間からは「秋山真之参謀の再来」などともてはやすものもありましたが、奇人・変人的な日常生活、主観的・独善的な作戦立案で他の参謀との協調性の欠如等、大部隊の作戦計画者としての適格性に疑問符が付けられたのも事実でした。しかし、山本長官は、「他の幕僚と違う答を出すのは黒島だけだ。俺でなければ黒島を使えない。」等と擁護したそうです。
その後、ミッドウェー作戦での失敗等があり、強引な黒島大佐のやり方に対して公然たる批判が噴き出すようになりました。山本長官が戦死して後ろ盾を失った黒島大佐は、軍令部に転出し、奇策を生み出すことに対する執着からか、やがて「回天」、「震洋」、「桜花」などの特攻兵器の推進者となってゆきました。
幕僚間の協働体制の欠如、参謀長飛ばしの仕事の仕方等、やはり大戦争を指揮する聯合艦隊司令部の態勢としては問題があったと思います。また、黒島大佐の「奇道」が「正道」に勝ち続けるのは無理があったといわなければなりませんし、「独創性と奇策は異なる」ということも言えると思います。
さらに言えば、「発想」と「計画」は違います。発想はいくら型破りでも良いですが、その発想を計画として具体化する際には、作戦目的との適合性や実行可能性はもちろんのこと、失敗等のリスクの受容性についても検討されなければならず、いやしくも主観的、独善的なものでよいはずはありません。
作戦の型にはいわゆる正攻法といわれるものを含めていくつかのオーソドックスな型があると思います。まず、これらの型とそれぞれの成功、失敗した実例を知ることが大事であり、その上で採用した型について、時間と空間の活用法を考え、欺瞞、陽動等も加えた「アレンジ」に独創性を発揮することは考えられることだと思います。戦場の霧や摩擦(※)は作戦につきものであり、敵を欺いたつもりが術中にはまってしまった例も多いと思います。「独創のための独創」は結局のところ「奇策」に陥るのではないでしょうか。
※戦場の霧と摩擦: 戦場における状況把握が、その流動性と情報収集の限界から常に不完全性から逃れられないことを「戦場の霧」といいます。また計画を実行に移す際には、天候等の自然環境、情報や意図の伝達での齟齬、敵の予期せぬ反応等により障害が発生しがちですが、これを「摩擦」といいます。
▼JOPPとは何か
さて、本題に戻りましょう。使命を達成するための方法を「行動方針(COA:Course of action)」といい、友軍の行動方針はCOA(コア)、敵の行動方針はECOA(Enemy course of action)(イーコア)とそれぞれ使い分けられています。
「JOPP(Joint Operation Planning Process、ジョップ)」とは、使命を分析し、複数の行動方針(COA)案を作成、分析、比較し、最善のCOAを選定し計画と命令を作成するための以下に示すような7つの論理的ステップからなる逐次的、分析的なプロセスです。
ステップ1 計画作業を開始する
ステップ2 使命を分析する
ステップ3 行動方針(COA)を作成する
ステップ4 ウォーゲームを使ってCOAを分析する
ステップ5 COAを比較する
ステップ6 COAの承認
ステップ7 計画、命令の作成
本来は順を追ってステップごとに内容を説明するところですが、マニュアルの説明でもありませんから、一部ステップを離れて、計画担当者がどのような考え方で作成しているのかに重点を置きながら解説してゆきたいと思います。
▼計画作業を開始する
すべての軍事作戦は作戦計画に基づいて実施されます。
フォークランド紛争(1982年)やイラク戦争(2003年)のような大規模な軍事作戦は、「戦役(Campaign)」と呼ばれますが、これらも一連の関連する複数の「作戦」から成り立っています。このような大規模なものは言うに及ばず、東日本大震災時に「トモダチ作戦」として救援部隊を派遣したり、北朝鮮に圧力を加えるために空母打撃群や戦略爆撃機を展開させたり、南シナ海において米駆逐艦が航行の自由作戦を実施するのもすべてそれぞれの作戦計画に基づく行動です。
これらの平時における個々の小規模な行動も、有事における大規模な作戦も、米軍においては、その基本は太平洋軍司令部が立案する戦域戦役計画(TCP:Theater Campaign Plan)に含まれる構想に基づくものです。米太平洋軍司令部は、担当する責任区域(AOR)内において想定される事態を予測し、これらに対処するために国家戦略と整合した戦域戦略を立案することにより戦略レベルの構想を練っています。この戦域戦略に基づいて、常設のJTF-519司令部等はいくつもの作戦レベルの構想を立て、そのうち蓋然性や影響度の高いもの等については更に詳細な作戦計画として作り込み、日本や韓国といった同盟国等との定期的な合同軍事演習で実地に訓練を積み重ねてその実行可能性を高めています。
▼計画作成の指示
これらの軍事作戦の作戦計画は、勝手に作成されているわけではありません。
例えば、「イラクの自由作戦」に際しては、2001年11月21日にブッシュ大統領はラムズフェルド国防長官に計画作成を指示しました。12月1日(開戦の約1年4か月前)に、同長官は統参議長を通じ、フランクス米中央軍司令官に対して、それまでの「対イラク作戦計画1003」を見直して新しい作戦計画を立案するための基本となる「指揮官見積り(Commander’s Estimate:作戦方針を含んだ簡単な計画)」を提出するよう正式に命じたとされています。
同司令官は、12月28日に大統領に対する1回目の報告を行ない、以後、中央軍司令部はアフガニスタンでの「不朽の自由作戦」を24時間態勢で指揮しながら新たな戦争のための計画作成に取り組み、2003年1月24日に完成させることができました。
▼熟慮型と危機対応型計画
このように国家としてどのような危機を予測し、それに対してあらかじめいかなる軍事オプションを用意しておくかということは重大な決定であるため、大統領、国防長官あるいは統参議長から文書による作成指針が示され計画作業が開始されます。これを「熟慮型計画(Deliberate Planning)」といいます。「イラクの自由作戦」はこの例です。
また、実際に危機が発生、拡大して軍事オプションを立案する場合には、大統領、国防長官あるいは統参議長から注意命令(WARNORD)等により「危機対応型計画(Crisis Action Planning)」の作成が指示されることもあります。この例としては、米軍ではありませんがフォークランド紛争における英軍の例がほぼ該当すると思われます。
フォークランド紛争(1982年)におけるイギリスの例を見てみると、同国はフォークランド諸島有事の際の緊急作戦計画を1977年から作成していたものの、その内容は同諸島奪還のために必要とされる兵力規模の概要を検討しただけのものでした。
事態の緊迫化を受け、3月30日、国防省は軍事作戦の主要方針を決めるための防衛作戦執行委員会を招集しましたが、既に承認されていた2隻の原潜に加えての水上艦艇等の派遣には反対しています。
しかし、4月2日、サッチャー首相のリーダーシップのもと任務部隊の派遣が決定された以降は、急ピッチで計画作業を進め、4月17日には中継基地である大西洋上のアセンション島において奪回作戦の内容が任務部隊に対して詳しくブリーフィングされたとされています。このように、フォークランドの危機対応においては、1977年の不完全だった「計画」を下敷きに2週間程度で実行可能な計画を完成させたことが窺えます。
熟慮型、危機対応型、いずれの場合も、軍事オプションの検討指示は、FDOの例に見られるように大統領が国家的手段を総合的に活用できるよう、通常、他の非軍事オプションの検討と同時に指示されるものです。
なお、大統領等からの指示がない場合でも、地域統合軍司令官が作成の必要性を認めた場合には司令官の権限内での計画作業を開始できることになっているほか、これらの計画が完成していない場合でも、現場にある部隊指揮官は平素から承認されている権限とROE(交戦規定)の範囲内で当面の危機対処を行うことは当然のことです。
計画作成を指示された地域統合軍司令官は、統合部隊指揮官を含む指揮下の部隊に対して計画指示を出して、指揮官の意図を徹底し、作戦の一貫性が保たれるようにします。
「イラクの自由作戦」に関する計画指示の例を見てみると、中央軍司令官から作戦レベルの指揮下部隊に対してイラク戦争の準備が明示的に指示されたのは、開戦1年前の2002年3月、中央軍に属する司令官達をドイツの基地に集めた秘密会議(普通は秘密です)においてであったとされています。ちなみに、この時点までの約4か月の初期的な検討は、中央軍司令部のレニュアート作戦部長ほか15名の若手佐官(「50ポンドの頭脳」と呼ばれた)によって厳秘態勢のもとなされていました。
秘密会議の席上、フランクス司令官は、「みんな、家の中に泥棒がいるぞ(Fellas, there’s a burglar in the house.)」という特殊作戦の隠語を使って、この戦争は確実に実行に移されるということを伝え、ブッシュ大統領が立案に加わっていることや、「準備90日、空爆45日、地上戦90日」の225日間で戦うこと、7つの作戦系列と9つのスライス等について説明しました。この日以降、主要な司令官とその司令部は極秘の検討作業を開始しました。検討の結果、さらに部隊を迅速に展開できる改善された作戦概念が完成し、8月6日にフランクス司令官は正式に計画指示を部下指揮官に発出しました。このように秘密保持の必要性と作業の迅速化をバランスをとりながら進めるのが普通です。
▼指揮官の役割
このようにして開始される計画作業ですが、作戦術による構想策定は指揮官が中心となりその知見を発揮するものであり、いわば力仕事である細部の計画作業は幕僚が分業して取り組むものと考える向きもあると思います。しかし現行ドクトリンでは、計画作業であっても重要なポイントについては、指揮官は自ら積極的に関与しなければならないとしています。
一般的に状況が複雑であればあるほど、作戦設計の早期の段階における指揮官の役割は重要であり、その知見を発揮して検討の範囲を定めると同時に焦点を絞り、作戦成功のための必要条件等を明確にし、幕僚の作業を効率化させることが期待されます。
また、指揮官のもう一つの役割は、外部との連携を強化することです。作戦レベルの指揮官と上位の地域統合軍司令官等との間で、作戦の方針等について、検討段階の初めから一致することはまれです。また、示された戦略的指針は計画作業に明確さをもたらすべきものですが、政治的なレトリックのため、その逆となってしまうこともあり、指揮官は、上級司令部とこれらの認識を早期に一致させるとともに、政府レベルで措置されるべき事項についても極力早期の協力が得られるようにしなければなりません。
「イラクの自由作戦」の開戦1年4か月前、計画作成開始にあたりフランクス中央軍司令官がブッシュ大統領に対し、作戦実行のために要望した事項は以下のとおりであったとされています。いずれも他省庁の協力や新たな予算措置等が必要な事項でした。
① 省庁間の情報活動能力の向上
② イラクにおける情報戦の開始
③ 所要の支援国の獲得
④ サウジアラビアの主センターに依存せずに済む代替航空指揮統制センターのカタールへの設置
⑤ 事前配備された装備品と中央軍司令部の移動
⑥ 先遣陸軍師団の移動
⑦ 先遣海兵隊旅団となる海兵遠征旅団(MEB)の展開
⑧ 3個目の海軍空母戦闘群の展開
⑨ 戦闘捜索救難(CSAR)と警戒監視(ISR)航空機の戦域への配備
⑩ 航空輸送態勢のための輸送機の世界的再配置 このような外部との連携の強化の他にも、現行ドクトリンでは指揮官のリーダーシップ発揮の必要性を随所で強調しているのが特徴と言えます。
※本稿は拙著『作戦司令部の意思決定』の要約抜粋で、メルマガ「軍事情報」(2017年10月~2018年3月)に「戦う組織の意思決定入門」として連載したものを加筆修正したものです。