▼海軍はなぜ太平洋戦争で負けたか?「社風」の問題
日本海軍は、最優秀の人材を集め、進歩的な組織運営を行った組織で、合理性や柔軟性を重んじ、「指揮官先頭」のリーダーシップはまさに「戦う組織」そのものでした。その海軍がなぜ太平洋戦争に負けたのか?科学技術力や工業生産力の差をはじめ色々ありますが、最大の敗因は情勢判断を誤って無謀な対米戦争を始めたことです。
海軍の現場におけるリーダーシップには素晴らしいものがありましたが、ハイコマンド(経営層)としての基本的な情勢判断の考え方ができていなかったのです。これに加えて、海軍独特の「社風」が意思決定をゆがめました。
▼前動続行
海軍は、創設以来イギリス海軍を師として発達しましたが、イギリス流を無批判に鵜呑みにしたところがあり、いつのまにか「自分の頭で考える」ことがおろそかになっていました。「前動続行」です。ハワイ作戦のやり方をミッドウェーでも繰り返し大敗を喫したように、この傾向は作戦面にまで及びました。「前動続行」は先例や自分の経験をもとに主観的に考えますから自然に組織も独善的になり、「伝統墨守、唯我独尊」などと揶揄されたのです。
また、海軍は、日本海海戦の大勝利という成功体験から「対艦巨砲、艦隊決戦」の考え方を絶対視して航空機の発達など新しい戦い方に後れを取りました。この考え方に基づいて参謀虎の巻の「海戦要務令」が作られました。単なる前動続行ではなくドクトリンとして徹底されたところが悲劇的でした。
▼精神至上主義と情報の軽視
秋山真之中佐が起案した「連合艦隊解散の辞」は、「勝って兜の緒を締めよ」の結びの文句で有名です。しかし、時の山本権兵衛海相は「戦争は精密な数字上の作戦に基づくべきで、精神力のみで勝てるという印象を与えてはいけない」と秋山の「美文」を喜ばなかったと言います。事実、この「解散の辞」は一人歩きを始め、海軍の軍人思想に影響し、精神至上主義の一員になったといわれています。
情報の軽視も大きな欠点でした。これは事大主義、自信過剰の海軍エリートの常でした。「なんだあいつの言うことか」と軽視したのです。このことは、作戦においては希望的観測に傾き、ミッドウェー海戦では「敵は出てこないだろう」と油断して、海戦史に残る大敗を喫したのでした。
▼スタッフ組織の欠陥
スタッフ組織の欠陥もありました。司令部で最も重要なのは大佐クラスで、少将の参謀長はチェック役、中将の長官はだいたい「ウン」と頷いて採用します。「長老制司令部」です。もう一つのタイプは、司令部内の微妙な人間関係や力量によって力関係が決まる「人間関係司令部」です。山本五十六率いる連合艦隊司令部がこのタイプで、山本長官の信頼厚い黒島先任参謀が中心で、参謀長などは浮いていました。大戦争を指揮する司令部として大きな欠陥を抱えていたのです。
▼フィードバックの欠如
このような欠点に加えて、決定的だったのは失敗した作戦のフィードバックが行われなかったことです。さらに、作戦指揮に失敗した指揮官に対して、山本長官は「下手なところがあったら、もう一度使え。かならず立派に成し遂げるだろう」として、不問に付したのです。太平洋戦争の日本軍の戦術を研究した英米の戦術家に共通した驚きは、四年近くも戦闘を経験しながら、変革のあとが見られなかったことだといいます。
※本稿は拙著『海軍式戦う司令部の作り方』の要約抜粋で、メルマガ「軍事情報」(2020年3月~4月)に「海軍式戦う司令部の作り方」として連載したものを加筆修正したものです。